10.運命を駆け抜ける稲妻



そうして、暑い夏になった。朝日に交じって、生温い風が舞い上がる。
宿の外の人々は朝の噂話に興じていた。それらを小耳に挟み、少女は穏やかに笑 った。
「新しい王太子さまかぁ…どんな方なのかしら」
馬を連れてくる従者を待つために、宿の石畳に腰を下ろす。まだ石までは太陽の 熱は届かないらしく、冷たくて心地よい。
強くて慈悲深い王太子さまが、今国中を渡り歩いているとか。何でも王勅の極秘 任務があるそうだが、それを果たす片手に国の成らず者などを平定したり、貧し い村の援助活動を行なっているという。こんな話を聞けば、どんな少女であって も“素敵な王子様像”を想像してしまうに違いない。
「お嬢様、支度が整いました」
「ありがとう、では行きましょうか」
少女は大切な白馬に一度頬擦りし、鞍に乗り上げる。慣れた手付きで手綱を引い て、隣りの従者に笑いかけた。
「さあ、今日も進むわよ」
チェルリスは光でぼんやりした朝の路に勢い良く飛び込んだ。



「……朝も甜瓜メロンか…」
「ほら、あんたが食べたいって言ったんだから、さっさと食べな」
あんまりにあんまりの仕打ちに、へヴンは涙目になった。
(そういえば、私はこれでも王子だったんだ…)
最近はこの豪快な乙女の仕打ちに忘れかけていたが、性別を偽っていたとしても 、れっきとした第三王子だ。
「……私はある意味、あなたはクロウドの兄上に嫁いだほうが良かったんじゃな いかと思う…」
あの兄の腐った根性を、この乙女は叩き直してくれそうだ。
「はぃ?何嫌な事言ってんのよ、あんな奴いくら身分があっても願い下げ。…そういや 、あんたよく兄上様に名前つけてるけど、もう一人くらい兄がいるの?」
「ああ。兄上の上に、コンサントの兄上がいらっしゃる」
病弱で、今は郊外でご静養されているんだ。私も数える程しかお会いした事がな いが。相変わらずややこしい王家だ。フロウは息をついた、頭が痛くなる。
「つまり…だ。あんたには二人兄上がいて、上は病弱で下が王太子になった。で 、あんたがいて…で、今騒がれてる“新しい王太子”殿は誰だ?」
「それが私にもわからないのだ。多分、第一王子…コンサントの兄上ではない。 彼は今までクロウドの兄上の要請を何度もお断りになっているし、あちこち動き 回れるお身体ではない。ならクロウドの兄上が用意した偽物か…また新たな“兄 ”か“弟”になる」
「それが以外に兄弟は?」
「姉が一人…本当は二人とも聞いた事があるが。今の所末は私なのだ。前王…父 上には三人の妃がいて、二人の兄上と姉上は皆同じ側室からお生まれになった、 この方が私の育ての親でもある。その他に愛妾の間に一人娘がいるといわれてい て…私だけが、正妃から最後に生まれた」
これが、へヴンが知っている“真実”だった。
(全く、変なもんに首を突っ込んじゃったもんだよ…)
フロウは再び息をつくのを禁じ得なかった。ここにいる少年に頼ったのが、また いけなかかったのだ。
一番身分の高い末の王子。邪魔に決まっている存在。性別を偽らなければ生きら れない少年。
人を、かわいそうだと思ったのは久しぶりだ。フロウは手を伸ばしてぐしゃりと 、へヴンの頭を撫でた。
へヴンが驚いてフロウを凝視する。
「聞いといてなんだが、気にするな。あたしたちは早くここから逃げて、それか らの事を考えよう」
「…ああ、わかった。あなたももう夜に泣くのをやめてくれよ」
フロウは一瞬言葉を失って…次の瞬間赤面する、バレていたのか。
「無理に笑っている必要はない。…私は…そんなに弱くないから」
それが自身の“弱さ”である事をへヴンが知るのは、まだ先の事だ。



朝はあんなに良かった天気が崩れ始めていた。
「王太子様っ!スワン皇子!」
鎧を纏い湧き出てきた黒い雲を睨んでいた少年は、騎上から顔を下げた。
「何か解ったか」
「人相の近い女を見つけました!髪が長く背が高く、美人で男と二人きりでした 」
「…調べる価値はあるな」
少年は馬を降りると、配下に指示を下した。
「いいか、手を出しては駄目だ。よく調べるんだ…罪なき者を手に掛ける事は避 けたい。最後の決断は私がする」
「御意!」
命じられた兵士達は順番に散々になってゆく。それを見送る少年の隣に、一人の 青年が近寄った。
「お見事な手腕です、王太子様」
「…朝日の騎士か」
同じく鎧を身につけた背の高い青年を半場見上げるように振り返った。
朝日の騎士は普段ライサーク地方のライズにある男神の神殿の守護をしている。
だが、神殿が完全に崩壊してしまったので、急遽今回の王太子の軍隊に組み込ま れる事になった。
公の“騎士”の位はかなり高い。しかし、年齢も若いのが特徴だ。
「名前で呼んでいただいて構わないと以前申し上げましたが。今回の遠征軍に入 った者達は皆、これからも貴方に着いていく心持ちですよ。まだお若いのに指揮 の手腕、またご自身の腕、性情まで申し分ないともっぱらの評判です」
「買い被られたものだな…ぼくはそんなに優れた人間ではないよ」
そもそも見た目に威厳がないだろう、いかにも子どもに見える自分は。
「だからこそ、エンジュ少年王の再来と言われているのですよ」
それはまた大きな話だ。たった一度軍隊を指揮しただけで国を建て直した賢帝に 喩えられるとは。
「エンジュ王も身体はそう大きな方ではなかったと言い伝えられております。しかし五歳という若さで王となり、十で戦場に出、十五で国を平定した」
「そんな尊い王と並べられるんじゃ敵わない。ぼくはただ、少し軍というものを 知っているだけだ」
スワンはこの国の軍事の中核を担う家で育ち、更にその中核を指揮すべきに育っ た義兄を見て育った。更に反政府軍という形にせよ、実戦も二年程積んでいる。
(今日が勝負…そうしたらぼくはどうしよう)
兄王の元には、戻りたくなかった。だからといって身よりがあるわけではない。
養い親にはもう、迷惑はかけられない。
スワンの脳裏にはまだ、自分が壊した故郷が焼き付いている。



夜遅くに揺り起こされるまで、フロウは異変に気づかなかった。
耳元で囁かれて、声をあげようとしたら口元を押さえられる。
「声をあげるな、いいか、今から私いう方向に行くんだ」
「でも…!」
へヴンは自分を落ち着かせるよう、気を配って笑ったようだった。
「大丈夫だ、私は強い。なるべく街や村の人には近づくな。手が伸びている可能 性がある…旅人を、捕まえ交渉するんだ。私の首を賭けて」
へヴンの提案にフロウは息を呑まずにはいられなかった。
「私は捕まらない。私の身辺を探ればいくらでも金は出るんだ…私は、あなたを 王宮に連れ戻したくはない。あなたは、外にいるのが似合っいるから」
「そこまでしてもらう価値は、あたしには…」
なお言い募ろうとするフロウの言葉をへヴンは首を振る仕草で制した。
「これは、私の我が侭なんだ。あなたを逃してあげる事が多分私が最後に“誰か のため”に出来る事だから」
「…わかった」
フロウは頷くとへヴンはまた優しく笑った。耳元で囁かれた指示を受け取り、フ ロウも微笑んでみせる。
「ありがとう、本当に」
それだけ言って、踵を返す。
へヴンはその背中を見送って、息をついた。物分かりのいい少女でよかった。そ して、腰に刺した安物の剣に手を掛ける…。
(あ…そういえば)
呼びたい時は呼べ。そう言った剣が昔にあった。
あれの威力は凄まじい。へヴンは二度と使いたいとは思っていなかった。だが…
これから来るだろう軍勢と、先程逃がした少女の顔がよぎる。
「…女は、逃がしたのか」
ぽつりと呟かれた声にへヴンははっとして振り返った。重い夜の帳が寝そべって いる。
「だが、それでもまだ追い付けるだろう。大抵の奴は、自分と逆の方向に女を逃 がす…」
へヴンは表情を変えないように努めた。そして黒い叢から現れた人物を睨みつけ る。
「いや…違うな。あなたは頭がいい。逆方向に逃がすという誰でも読める事はし ない」
「何故…そう断言出来る」
「ぼくがもし、同じ立場ならそうするからだ。あなたとぼ…私は似ている気がす る」
へヴンは、目を細めるようにして現れた人物を見据える。
(子ども…)
声を聞いた時から感づいてはいたが、現れた男は供も連れない、まだ少年としか いえない者だった。へヴンより幼いのは確かだ。背丈もへヴンより頭一つ分ほど 小さい。
「それは後でいい。安心して欲しい、ここには本当に私一人しかいない…一対一 という事だ」
へヴンはわざとらしく言った。
「それは随分と余裕だな、私はこれでも城から王の妃を誘拐して、逃げた者だぞ 」
「子どもだと思って甘く見るな」
へヴンの言葉で、どうやら少年は機嫌を損ねたようだ。思わず笑ってしまいそう になって、あわててそれどころじゃないと口元を押さえる。気を取り直して、重 ねて尋ねた。
「あなたが…“新しい王太子”様か」
「ぼくが望んだわけではないが、そのようだな。…ぼくは、あなたが罪を犯した 理由を知らない。が、聞かない。聞いたら、きっとあなたを殺せなくなってしま う気がする」
「慈悲深いっていうのは噂通りなのだな。王太子様がそれでいいのか?」
「気が弱いと言ってくれ。…こんな所だから言ってしまうが、あの兄王が正当な 罪を問うとは思えない…それと、部下によるとあなたと女は仲が良さそうだった って報告してきたから」
なるほど、それは傑作だ。へヴンはどうもこの“王太子”が気に入ってしまった 。互いにこんな立場じゃなかったら、いい関係になれる気がする。
だから、彼に言ってやった。
「私は罪人だ、情けはいらない。私も容赦はしないから、気に止む事はない」
「…優しいのだな。あなたは」
王太子は一瞬、悩まし気に声を落とした。
そして彼は剣を構えた。顔にだけ甲冑の兜をしているが、あとはへヴンと同じく身を 守るものを何一つ身につけていない。そして、とうとうその兜も取ってしまう 。
「条件は同じだ、手加減はしないぞ」
暗がりでその表情かおはわからない。へヴンも剣を握った。強い剣は今回の 対決に必要なかった。
キン…という音を立てて、双方の剣は十字架クロスを描いた。
へヴンは一度退いて後方に飛ぶ。それに合わせて王太子は前に飛び込んだ。
(つよい…)
この小さな身体でここまでやるとは。積極的に攻めてくる王太子の剣にへヴンは 守りの一手だった。形が綺麗で全く動きに無駄がない。へヴンは翻弄されながら も、隙を見て、強烈な一打をくらわせた。
力は、やはりへヴンのほうが上だ、そして体力も。王太子はもう息をを苦し気に 乱していた。でも諦める様子はない。また積極的に前に押し寄せる。
能力と、体力の勝負だ。いくら神の指導を受けたといえどへヴンの剣は我流。王 太子に関しては、やはり体型が恵まれていない。
いつ、どっちに転んでもおかしくない試合だった。二人はただ無心に相手に打撃 を与え続ける。
突然暗い夜空に、太い稲妻が駆け抜けたのは、その時だった。



明るく照らされた地面に、二人はほぼ同時に剣を取り落とした。

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