11.嵐吹く出逢いと再会



嵐の前の静けさとは、こういうものかも知れない。
スワンは自分が剣を落としたのにも気づかず、呆然とした。 空には未だ光輝く稲妻が駆け抜けている。異国では神の降臨とも言われる轟音だ けが、今ここにある世界の音だった。
目の前にいる男…いや、かろうじで少年と思われる者も、同じように自分を見つ めていた。長い銀色の髪は乱れ、腕には細かい傷が見える。 どちらも、すぐには口がきけなかった。そしてなんとか口を開いたのは自分のほ うだった。
「あなたの…名前は」
かすれた問いに、その少年はすぐ答えなかった。風が何度か通り過ぎる。それか ら決意を決めたように彼は短く言った。
「…へヴン・ウエストリア。ウエストリア王国第三王子」
「なっ…」
「あなたこそ名前は?私はあなたが王太子であることしか知らない」
第三王子と名乗った少年は落ち着きはらって聞き返してきた。スワンのほうか危 うく自分を失いそうだったが、何とか堪える。目の前がくらくらしたのを、食事 を摂ってないからだろうと合理化する。
「……スワン・ウエストリア」
この名を名乗っていいのかは躊躇われた。しかし今更昔の姓を名乗れない。
「…私は、あなたを知らない」
第三王子の呟きにそれはこちらの台詞だ、とは言えなかった。余程気が動転して いたのかも知れない。そのまま膝の力が抜けて座り込んでしまう、敵の前ではた いした失態だ。第三王子が驚いて前へ出、自分を支える。
――へヴンとて事の成り行きに驚いていた。しかし両者とも戦意を喪失した事は 明白。へヴンは倒れかかった王太子…スワンを助け起こし、また言葉を失った。
少年の身体があまりに華奢な事に気がついたのだ。少年とは思えない身体の軽さ 、手首の細さに思わず口調が強くなる。
「なっ…あなたはちゃんと食べているのか?王宮にいれば食事に困る事はないだ ろう!」
王太子はのろのろとへヴンを見上げた。長い銀色の睫毛…大きな藤色の瞳――へ ヴンは瞠目した。この王太子は、まるで自分と同じ顔をしている。
「…兄上は…ぼくを以前一度だけ、第四王子だと言っていた。あなたは…ぼくの 兄なのか?」
「……」
まるで、二、三年前の自分が尋ねていると錯乱するような少年。へヴンは答えら れなかった。
「だとしたらぼくは…してはならない事をした。兄弟に剣を向けるなど」
自分とあまりに似すぎている顔が崩れる。泣き出す寸前、という感じだろうか。何か言葉を掛けてやりたくてへヴンは口を開きかける。
「スワン様、ご無事ですか!」
しかし突然の声にへヴンは一瞬で飛びずさる羽目になった。まずい、この王子だ けならいざ知らず、他の兵士に捕まったら元も子もない、逃げないといけ なかった。
しかし速さをものともせず、自分の袖を掴んだ手がある。
「待て、行くな!誰にもあなたに指一本触れさせない。大丈夫だ、一人で立てる …」
部下の登場で気を取り戻したらしい王太子に強く命じられ、へヴンは止まった。
振り向くとそこにいたのはスワン王太子と…もう一人。
突然、強い雨が頬を打った。雷鳴が再び辺りを照らす。降り頻る雨の中、へヴン は王太子の傍らの青年に目を疑った。
「お久しぶりです、我が剣姫グラジオラス
王太子の部下は雷鳴の下、満足気に笑った。
「まさか…ネイトか?」
そしてへヴンはもう長いこと忘れ去っていた敬称で自分を呼んだ青年騎士を凝視 する。背が高く長い髪をくくったいかにも武人らしいが気品のある朝日の騎士― ―ネイト・テフロン。へヴンがいた男神の神殿を守護する、へヴンの性別の偽り を知っていた、数少ない人間。
「おやおや、少し外に出ただけで随分勇ましくなりましたね、もう巫女姫にはな かなか見えませんよ」
彼はあの頃と変わらず、親し気に自分をからかった。彼は閉じ込められていたへ ヴンの数少ない友人のひとりなのだ。
「…放っといてくれ。お前は、こんな所で何をしているのだ」
「勿論、見ての通りあなたの弟君・・の護衛を兼ねて、あなたを捜していま した。十中八九、王が捜している罪人はあなただと予想はついてましたしね」
お渡ししたいものがあります。ネイトはそう言って腰の物入れから封筒を取り出 した。
「あなたのお義母様、エニシダ王妃様より、あなたの乳母のバークゥンサ様に送 られたお手紙です、とうとうへヴン様にこれを見せる時が来たと」
「バークゥンサは…無事なのか?」
「ええ、今は親族の家で元気にしていますよ」
濡れてしまいますし、灯りが必要ですから。ネイトはそう言って近くの酒場に場 所を移した。へヴンは、流麗に綴られた懐かしい義母の字を目で追い、目の前で 黙って座っている王太子にも聞こえるよう、それを読み上げた。
「……信じられない事でしょう。しかしながらへヴンの母親、フェザラーは双子 を産みました。私はそれを自分の目で確認しています。しかし、フェザラーは我 らの夫である王に、双子が生まれたら二人ともすぐに殺すとおおせになられてい たものですから、私に…兄を、よろしく頼むと言い残し、身体を残して弟の王子 と共に飛び去ってしまったのです。私はそれからしばらく意識をなくし…意識を 取り戻した時にはフェザラーの身体は死んでしまいましたから、私はただ彼女が 亡くなっただけだとも考えましたわ。しかし、やはり弟であった王子の姿は何処 にもありません。その場に居合わせたのは私だけですから、他の者に尋ねても気 が違ったと思われるだけです。だから私は約束通り、へヴンを育てました。もし 、へヴンが運命さだめから逃れられないようなら、この話をしてあげて下さ い」
あの子は、人には見えないものを視る力があるから、心細いでしょう。この話で 少しでも悲しみを和らげられるかもしれません。その後に書き添えられた事は口 には出さなかったが、へヴンの胸に強く響いた。
酒の香りの中にしばし沈黙が流れる。
「…さて、スワン皇子」
ネイトは黙ったままの傍らの少年に声を掛けた。灯りの下にいる彼は先程よりか なり弱々しくに見える。これであれだけ戦えるのが驚きだ。華奢すぎる肢体に大 きな瞳が静かに揺れる。
「何だ」
それでも口調だけはまだ強くしようとしているようだ。ネイトは試すように、こう続ける。
「あなたは罪人である第三王子の処遇をどうするおつもりですか?王の命令のま まに、彼を…」
「殺すわけないだろう!」
スワンは酒場の机を強く叩いて怒鳴った。バン、と強く音が響いてその場にいた 数人が一斉に振り返る。だが大抵が酔っているのか、気に止めるものもいなかっ た。
へヴンは目を見張ってを見た。弟もへヴンを見て、初めて、笑った。
その瞳から一筋の涙がこぼれ落ちたを、へヴンが忘れる事は一生ないだろう。



フロウは走れるだけ走って、とうとう地面に膝をついた。限界だった、フロウの 持つなけなしの体力はとうに使い果たしていたのだ。
そこは人気のない歩道のようだ。灯りが遠くに見える、人がいるのは確かだ。し かし、むやみに村人に近づけば捕まってしまう。
だからフロウは旅の人間に助けを求める必要があった。自分の身が知られてなか ったら幸運だし、知られていたとしたらこう言えばいい。“あたしは偽物だ、彼 らに雇われた奴だ”と。そして“あたしは彼らの居場所を知っている、それを密 告すれば金が入るよ”。へヴンに言われたままの台詞だった。自分で言うのもな んだが自分の口調や仕草はどうみても田舎の小娘のもの。一見容姿が似通ってい たとしても、まず王に嫁ぐような娘には思えない。だが、村という共同体の繋が りは恐ろしいから、いつどう情報が漏れるかわからないのだ。 しかし、どうやって旅人を見つけろというのか。一番いいのは宿屋をあたる事だ が、ここが何処だかすらフロウにはわからない。とりあえず、夜明けを待つしか ないようだ。
しばらく、フロウは道端に座ってほうけていた。天気が悪く、月は見えない。本 当は暗い夜は苦手だ、いつもあの人の顔しか浮かんで来ない……しかし、今日は 違う。
(なんであんなに優しいのよ、あんたへヴンは…)
フロウの脳裏に浮かぶのはついさっきまで共に過ごしていた少年。
あの人と比べればまだまだ子どもで、どっか抜けていて変な人と思っていた、夜 も絶対に手を出してこないし。でも、強くて、絶対泣かなかった。くじけそうに なる自分を知らぬふりして、いつも助けてくれていた。彼だって…辛そうだった のに。
「お姉さん、一人かい?」
フロウは驚いて顔を上げた。いつの間に、酒場の帰りらしい酔っ払った男の集団 に、取り囲まれていたのだ。
「暇ならこれから俺と遊ぼうぜ、これから帰る所なんだ」
「おいおい、お前こんな別嬪を独り占めする気か?」
「うるせー俺が見つけたんだ、後で回してやる」
(…何よこいつら)
もしフロウが冷静だったなら、この男達に着いていくほうが逆に安全になるのだ と考えたかもしれない。一夜自分の身を投げ渡すだけで安全を得れるのなら悪く ない話だ、自分は男を誘惑するのに長けているから、一夜我慢すればきっと上手くいくはずと普段のフロウなら考える。しかし今のフロウは先程まで、こいつら より遥かに節操がある少年と共にいたため、昔よりかなり酔っぱらい親父に嫌悪 感が湧いていた。
「いやだよ、なんであたしがあんたらに着いていかなきゃならない」
「何?言うなこの女。おい、お前らこいつを取り押さえろ!山分けだ」
よく見えないが最初に声を掛けてきた男の声に、周りの男達は歓声を上げてフロ ウに襲いかかってきた。
「やだっ…」
フロウは抵抗しようとしたが元々乏しい体力を使い切ってしまっていたのでほと んど動けなかった。
(助けて――誰か!)
無意識に心中で叫んだその時。
「ちょっと、そこの方々?男五人でよってたかって女の人虐めるなんて卑怯でし ょ」
甲高い声が夜闇に響く。男達は一斉に振り返った。
「なんだ、貴様…」
「嫌がっているのだから離しなさい。わからないならこちらも容赦しないわ」
(子ども…?)
しかも、きっと少女だ。口調は偉そうだが、何処か品がある。
「このっ、小娘がぁ!」
男達は標的を変え、声の主に向かって持っていた荷物や武器を振り上げる。
瞬間、暗い空から太い稲妻が舞い降りる。光の中でフロウが見たのは楽しそうに 笑っているワンピースを着た少女だった。小動物の様に大きく、くりくりした瞳 が輝く。そして、微かにこう呟いたのを、フロウは確かに聞いた。
「そうこなくっちゃ♪」
(…は?)
思わずフロウは唖然とした。何か、違う気が…。
「大丈夫ですか、お嬢さん」
しかしその事について考える暇はなかった。気づくと、傍らに一人男がいて、地 面に倒れたフロウに手を差し出している。
衣装は黒一色で闇に溶け込んでいるように見える。しかし雰囲気敵ではないと感 じる。
「はい…」
「安心して下さい、私達はあなたを害そうとは考えていませんから。こちらで少 しじっとしていて下さい、私も彼女の援護…は、必要ないみたいですね」
確かに彼の言う通りだった。声の主の少女は既に三人を地面に倒し、残り二人の うち一人をまさに今切り伏せた所だった。武器は、細刀レイピアだろう。切 るより突き刺す事に向いている武器で少女は切っ先を鞘にいれたまま戦っている 。同時にとても身軽なのか、時々ふわりと飛び上がった。そのまま今度は振り上 げた踵で容赦なく急所を打つ。
最後の一人もうめき声を立て、とうとう倒れた。少女はぐるりとあたりを見回し て、微笑んだのが空気でわかる。
「全く…このチェルリスわたしに勝とうだなんて、神々がおはします太古か らの時間より遥かに甘いのよ」
随分と壮大な決め台詞を吐いた彼女をフロウは呆然と見つめた。
その視線に答えるように彼女は振り返る。そして自分を見るとにこりと、くった いのない笑みを浮かべたのだ。

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