12.出逢った君と二人



コンコン。ドアを叩く音がする。
「入ってい〜い?」
可愛い声だな、あたしの声はよく綺麗だと言われるけど、こんな声は出せないと 思った。
何となくわかった。彼女と自分は最初から違う位置にいる関係だと。
「いいよ」
フロウが答えるとカチャリ、と扉が開いて少女の顔がぴょこりと飛び出した。表 情は最初見た時と同じ、くったいのない笑み。
「着替えは終わったのね、似合っているわ」
どこまでも真っ直ぐな瞳にフロウは世辞だと言えなくなってしまった。少女はお 邪魔します、と呟きながら部屋に入ってくる。両手には、大きなたらいを抱えて いた。
「傷の手当をしようと思って。あなたはとても綺麗な方だから、傷はしっかり治 さないともったいないわ」
「それはどうも…」
断る理由もないのでフロウは答える。少女はたらいを床に置いて、自分はフロウ が座っている向かいのベッドに腰掛けた。
先程フロウを助けてくれたのは、この少女と、その従者だった。二人はのびてい る男らをそのままにフロウを馬に乗せしばらく走らせ、この宿屋まで連れてきた 。金は心配しなくてもいいと部屋に連行され、着替えまで用意されて今に至る。
用意された着替えは間違いもないシルクだし、軽食まで差し出される始末 だ。王宮にいた一日ですら、こんな良い待遇は受けていない。
フロウがぼんやり考えている間に少女は熱心にフロウの傷の具合を調べていた。 笑顔は消え、真剣な眼差しである。
(いくつなんだろう…この子)
少女はふわふわと緩くたゆう薄茶色髪を若葉色のリボンで止めている。深い碧色 の瞳が大きくて長い睫毛はくるんとカールしていた。華奢でかなり小柄なのだが 、その中で腕にあるフロウには皆無の筋肉が多少目立っている。山吹色に薄く白 いレース素材を重ねた丈の短いワンピース姿だ。足には磨かれた革靴を穿いてい る。
一見では、十三、四にしか見えない。しかし行動は幼さを感じさせない、洗練さ れたものだ。例えば今フロウの腕の傷にすりつぶした薬草をすりこみ、包帯を巻 く様子は実に手慣れている。
そして、一つだけ確実なのは、この少女はきっとフロウとは違い、生粋のお嬢様 なのであろう。ちょっとやそっとでは身につかない気品が彼女にはある。
「あら、そういえば、まだ名前を聞いていなかったわ」
軽い言葉の端に漂う上品な響きがフロウには羨ましく感じられる。
「…フロウ。フロウ・クリアよ」
「素敵な響きね」
一瞬名を偽ろうとも思ったのだが、やめて良かったかもしれない。それくらい、 この少女の言葉は心地よかった。
「わたしはチェルリス。皆からはチェルって呼ばれているわ、よろしくね」
どこかで聞いた事がある名前な気がした。気のせいだろうか。チェルリスは治療 を終えると、今度はフロウの座っているベッドの隣りに腰掛けてきた。フロウが 彼女を見下ろすとまた笑う。とても気さくな少女のようだ。
「フロウってすごく大人っぽいのね、でも話してみるとそうでもないみたい。い くつ?」
「十五だよ」
フロウは驚かれるのを承知で正直に答えた。年齢を言ってまず驚かれなかった事 はなかったから。しかし驚いたのは何故か自分のほうだった。
「あら、わたしも十五よ。同じ歳なのね」
(……え?)
フロウは固まって、もう一度傍らに座るチェルリスを眺めた。この子があたしと 同じ歳?不躾な視線が届いたのか、彼女は少し唇を尖らせた。
「見えないって言うのね。悪かったわね」
「ああ、違う違う…ただ、あたしはやっぱり少し老けているのかと…」
「あら、そんな事はないわ。あなたの髪の色がとても綺麗よ、夜闇の色だわ。異 国の血が混ざっているの?」
それから二人は他愛ない話をしばらく交し合った。チェルリスはとても話上手で 、あまり親しい女友達もいなかったフロウにも話しやすい相手だった。
「つまりフロウは大きく言って逃げているのね」
「…まあね。あんたは?」
「チェルリス。わたし達はちょっと探しもの…いいえ、人捜しよ」
「ふ〜ん」
いつの間にか話が身の上に向かって、フロウは考え始めた。
つまり、チェルリスは旅人って事だ。フロウが想像していたのとはだいぶ違った けど、旅人は旅人。
そして思いもよらぬチェルリスの言葉にフロウは一瞬耳を疑った。
「ねぇ、フロウはこれから行くあてはあるの?」
「特にないよ」
「それならわたしたちと一緒にいきましょうよ」
チェルリスは笑った。
「最近退屈していたの、新しい友達が出来たからわたしは嬉しいのよ。ねえ、今 夜この部屋で寝てもいい?」
チェルリスは甘えるようにフロウに抱きついた。フロウは驚いたが…次に笑みが こぼれる。まるで妹でも出来たようだ。彼女の頭を撫でながら、あまりに都合の いい条件を一度疑ったが、願ってもないものだと感じる。それにもし自分が捕ま ってもへヴンが救われる方法はいくつもある。
「うん、料理くらいなら作れるから、連れてってくれないかい?」
「まぁ本当?わたしもシーホーンも料理は苦手だからすごく助かるわ」
結局一つ寝台が余っている関わらず二人は同じ寝台の上で語り明かし、そのまま 眠ったのだ。



誰か来る。誰だろう、それでも自分は本から顔を上げない。重傷だな、とは思う がそれでも読書はやめられないものだ。
「…具合はどうだ?」
その声で、理解る。
「へヴン」
「寝ているって言っただろう、何故手にそんなものを持っているんだ」
「あっ」
現れた少年はスワンの手からあっという間に本を取り上げてしまった。
スワンが気分が良くないからと夕食を辞したのは少し前の事だ。今までも何度か あったことだから兵士達は疲れているのだろうと判断して臨時の部屋を作ってく れた。その中の寝台で横になって呑気に本を読んでいたわけだが、へヴンはそれ が気に入らなかったらしい。
「そんなにすぐ眠れるわけないだろう、返し…」
「それは本の無視って言うと以前聞いたぞ」
「……いや、なんか違う気が」
それは勘違いっていうか言葉遊びで、そもそも意味が逆であると指摘したかった が、その前にへヴンが手にしていたものをどん、とスワンの前に置いた。
「とりあえず食べやすい果物を持ってきた、何でもあるぞ、何がいい?」
たくさんの果物の乗った盆を前に、人の斬れない果物専用の刀を構え早く食べた いという思いが丸出しの兄に、それぼくのために持ってきたんじゃないの?と思 わず突っ込みたくなる心境だ。
「いや…」
今は食べたくないんだけど。強い期待を感じそう言えなくなってしまったスワン は観念して答えた。
「…甜瓜メロンでお願いします」
「私も好きだぞ、もっとも朝御飯にされるのはいやだが」
「普通、果物単品で朝御飯にはならないよ」
「いや、世間ではそれは普通だと言われた」
いや、違う。スワンは力いっぱい否定したかった。
「…よく、騙されやすいって言われないか?」
「ん、そうなのか?むむ、甜瓜というのはなかなか切れないのだな、フロウはど うに切ったんだ」
たどたどしいへヴンの刀さばきに、スワンは息をついてそれを取り上げた。全く 、食べさせに来たんじゃなかったのか。
「違う違う、果物はここの部分で切るんだ。ほら、綺麗に切れただろう?」
「…スワンは何でも出来るんだな」
へヴンは心底感嘆したように言った。
「育ちが複雑だからね、はい」
スワンは切り分けた実の一つをへヴンに渡した。あまり気は進まないが自分も手 を伸ばす。
久しぶりに食べたものは存外甘く美味しかった。甜瓜など、本当に久しく食べて いなかったのだ。甘いものは個人的に好きだが、あまり外では食べられないのだ 。
「美味しいだろう」 自分が作ったわけでも選んだわけでも切りわけたわけでもないのに、へヴンは得 意気に言った。ここまで来ると、そう、あれだ。
「天然」
「うん?何か言ったか?」
「なんでもない」
一かけ食べるとスワンはまた仮設の寝台に潜り込んだ。するとへヴンも混ぜてく れとでもいうように横になる。
スワンはそれをぼんやりと見ていたが、何となく…少し彼のほうによった。
へヴンは自分と正反対の体格をしている。背が高くて、手足が長くて羨ましい。
だけど、一度しゃべり始めるとまるで子どものようだ。自分と比べて何も出来な いというか、世間知らずなのだろう。でもそんな彼に好感を持っているのは確か である。
二人はあの夜、互いを名前で呼ぶ事、互いに敬語を使わないで話す事を約束した 。それから何度か、今のように他愛ない話を交している。時々どっちが兄で弟か わからないような。それが、妙に自然だった。
スワンとて忘れたわけではない。元々へヴンは罪人とされていて、スワンが殺す べき相手だった。だからスワンは帰って真っ先に兵士を説得した。へヴンの身分 を明かし、何故そんな事になったかをかいつまんで話してもらい、それでも駄目 ならといろいろ考えていたのだが…結果はスワンが思っていたよりよほど、簡単 だった。
「スワン皇子様がそうご判断されたなら、我らはそれに従います」
人柄とは、こういう所に出ると後で朝日の騎士が教えてくれた。彼らは自分ス ワンを信用し、また現王には不満を抱いているのだからこの結果は当然だろう と。
実際今王、二人の兄のクロウドの評判は芳しくなかった。無理矢理王になったの はどうみても明白だし、政も嫌いなようで幹部に任せっきりだ。
更に今回の件でここにいる兵士達の心に火がついた。彼は罪人の名前を言わず拐 われた妻の外見だけを自分達に教え、捕まえろと命じた。ウエストリアでは、血 を分けた兄弟殺しは酷い禁忌だとされている、王は元よりそれを実行し隠蔽する つもりだったのだ。
『王自ら禁忌を破るとは…』
そしてきっと事が明るみに出る、いや出ずともその罪をスワンに着せるつもりだ ったのだ。危うく騙される所だった。
「…気になっていたのだが、へヴンは兄上と仲が悪いのか?」
スワンの問いにへヴンは苦笑した。
「そうだな、昔から兄上は私を嫌っていたから」
「なぜだ?」
嫌うからには相応の理由があるはずだ。しかしへヴンはそこで黙ってしまった。
「あ、ごめん。もしかして聞いてはいけなかったかな?」
スワンはあわてて訂正したが、へヴンは首を横に大きく振った。
「いや、違う。ただもし言ってしまったらスワンも私を嫌うかもしれないと畏れ たのだ」
スワンは目を見張った。へヴンは一度笑うと、静かにこう言った。
「私は、人には見えないものを視るチカラがあるんだ。例えば神とか、妖精とか 、そういったものが」
「……本当にいるのか?」
スワンは自分でも間の抜けた返事をしたと自覚した。しかしそれはスワンの頭脳 では証明出来ない問題の大きな一つである。幼い頃からの夢は学者で何もなけれ ばそれを目指すつもりだったスワンはそういったものに興味があるのだが…
へヴンは予想通りきょとん、とした。それから、吹き出す。
「……あっ、はは、やっぱスワンは変わっているな」
「……それ、お前にだけは言われたくないぞ」
悪かったな、と呟きながらスワンはへヴンの胸に顔を埋める。そして、小さな声 で言った。
「そんな事で、ぼくがお前を嫌うわけないだろう」
へヴンが驚いているのが伝わってくる。自分でも、何でこんな子どもじみた行動 をとったのかわからなかった。でも、彼には今こうする事が必要で、また自分に も必要だったのだ。
へヴンの力強い腕にある、黒の刻印。それは自分の腕にあるものと同じ。
彼はたった一人、自分と同じ運命を辿ってくれる人間。
ぼくは…何を今更、命が惜しいと思っているのだろう。
あふれた涙を止めることは、ついに叶わなかった。



自分の胸で泣きじゃくる弟に、へヴンは気づいてしまった。
私は、涙を流すためのものを何一つ持ちあわせていないと。
だからきっと、自分は泣けないのだろうということも。
自分を化け物と呼んだ兄もあながち嘘つきじゃない。
へヴンは、人間らしい心が酷く乏しい、人間だったのだ。

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