13.想いという強い絆



従者の心配をよそにチェルリスはわくわくしていた。良からぬ事を企むのは彼女 にとってとても楽しい事なのだ。昔、よく傍らにいたあの子に叱られたっけ。
全く、あの子スワンは真面目なのよね。だからいつも極限になるまで我慢す るのだから。チェルリスは彼が心配でたまらない。
だから、一刻も早く彼を捜して…そのために、この“良からぬ事”を成功させな ければ。
といっても、もしチェルリスと従者だけならこんな事をする必要はない。
今、チェルリス達が目指しているのは、如何にして“関所の役人を騙してそこを 抜ける”かだった。 今、ここにいる少女のために。チェルリスは巌として国に歯向かう事より少女 フロウを助ける事を譲らなかった。
結果、チェルリスは念願を叶える事になる。それはまだ先の事だ。



「ちょっと…本気でするわけ!?」
「し〜っ、静かに。役人がくるわ」
フロウは跨いだ白馬の上で黙るしかない。その手綱を引くのは他でもない自分を 助けた少女、チェルリスだ。しかし今日はいつもより安物を着て、髪を乱雑に結 っている。何せ、今日の彼女は“従者”なのだ。
また、フロウ自身も不思議な恰好をしている。長い髪を後ろで一つにまとめ、馬 の上にまるで王がパレードでもする時の様に豪華な椅子で、四方には薄手のカー テンが巡らしてあるものに座らされている。外から顔が確認出来ない様にだ。し かもカーテンの裏には更にまたカーテンがある何重構造なので数枚捲られても平 気だ。
しかしこれでは余計怪しいと言っているようなものではないか。フロウは気が気 でない。
フロウが城の役人に追われていて関所を通るのを渋ったのは昨日。しかしこの関 所を通らずには首都グローリーを含む王家掌握の七都市から出られないという。
しかし、ここを出てしまえばもう貴族の領地なので追手がつく可能性がかなり減 るという。そしてこのお嬢様チェルリスが考えた方法がこれだ。
もちろんチェルリスとてこれだけでは抜けられるはずはないと思っていて、更に 重ねた策を使うと言っていたが、フロウはとりあえず何を言われてもはいと答え ろと言われているだけだった。
さて、そんな事を考えている間に順番は回ってきた。チェルリスの従者であるシ ーホーンが前に進み出て通行手形を渡す。
「ふむ…シトラス家の紋章だな。偽物ではないようだ、目的は?」
「諸国見聞のため都城に赴きました後の帰郷でございます」
「お前は従者か、連れは」
「我が女主人がそちらに、その侍女があちらで馬を引いている者です」
シーホーンはフロウとチェルリスにちらりと目をやった。役人の目もそちらに移 る。
「…随分と、変わった姿の主人だな。今は審査を厳しくしている、カーテンを上 げろ」
一人の役人の命令に後ろに控えていた数人が馬に駆け寄り、カーテンに手を伸ば した。フロウは冷や汗をかく。しかし彼らがそれを引き上げようとしたその時。
「無礼をっ!」
突然、叫び声が上がった。皆は一斉に声を上げた張本人、馬を引く女従者に視線 を集める。女従者は更に声を上げた。
「シトラス家次期当主、バレンシア七世様に向かってなんたる非行を!」
役人達の動きが一気に止まった。ぽかんと、口を開いている。しかし、それはカ ーテンの中のフロウとて同じだ。
(……え?)
「証拠を見せろと言うならこれを見なさい。これこそ、太古よりシトラス家に伝 わる、先日バレンシア様が引き継いだ波動の首飾り」
女従者チェルリスは掌に大きな首飾りを掲げた。豪華な石の装飾に光輝く緑の波 動石。フロウを含め、そこにいる誰もがその美しさに息を呑んだ。
「これはこれは…とんだご無礼を、申し訳ない」
そのまま三人は即座に関所を通された。 しばらく歩いてからチェルリスが満足気に微笑む。
「楽勝ね、わたしの演技は完璧だったわ」
「全く…肝が冷えますよ」
シーホーンはぼやいたが、特に驚いた様子はない。フロウだけが未だ戸惑っていた。
「フロウー生きてる?」
呆然としている自分を心配してか、チェルリスがカーテンを開けて覗き込んでき た。そこにいたのはいつもの明る過ぎる少女で、何も変わっていない。
しかし。
「まさか…あんたは」
震える声で尋ねるフロウにチェルリスは含んだ様に微笑んで答えた。
「まだ、正式な自己紹介はしてなかったわね。わたしはチェルリス・バレンシア ・シトラス」
まぁ、そんなに気にする事でもないわ、チェルリスはころころ笑った。
(いや…大あり)
高貴すぎる名前にフロウはめまいを感じた。そういえば以前誰かに、あたしと同 じ歳の少女がシトラス家の次期当主に選ばれたと聞いた気がする。
国で一流と数えられる貴族はたった二つ。そのうちの一つである名門シトラス家 は古のシグヌス国の王家の直流、人呼んで“女神の愛し子”。たとえフロウのよ うな田舎育ちだとしても、その名を知らない者はない。
確かに、チェルリスは高貴な生まれだろうとは思っていた。しかし、よりにもよ ってシトラス家の、しかも次期当主なんて誰が予想しただろう。よりにもよって 、この少女が。
いきなり王太子に嫁がされたと思ったら今度は王子と逃げ回り、更に今度は一流 貴族のお嬢様に助けられて…なんて今年のあたしは“高貴な人運”がいいのだろ う。
いや、最悪だ。フロウは心中ぼやいた。



黒き山脈ジェット・ブラック・レインジに行きましょう」
そう言ったのは朝日の騎士だったか。
「このまま逃げるにも、危険過ぎる。あそこには元々、クロウド王ではなく兄君 のコンサント王子の支持者が多い」
それでいて、あのシトラス家が彼にはついている。シトラス家が新王の即位式に 使者すら送って来なかった事はもはや有名だった。
しかし、ライズの支配下にあった朝日の騎士がその名を出すとは驚きだ。兄がそ のあたりを尋ねていたが、朝日の騎士、ネイトは元々黒き山脈の麓に住んでいた という。そういえば、そこには彼の姓であるテフロンという地名があった。
いつもに増して目の前がぼやけてるな…スワンは思ったが特に気には留めない。
今、スワンは一人だった。大群だとどうしても目立つから数騎に別れて行動する ことにしたからだ。しかし先程自分と共に行動していた家臣とはぐれてしまった 。普段のスワンならそんな事は絶対ないのだが、それすらもうどうでもよかった 。目的地は知っているからそこに辿り着けばきっと逢えるだろう。
一昨日、へヴンの前で泣いてしまってから、どうも調子が優れない。張りつめて いたものが切れた、そんな感じがあった。
日差しが眩しい。思わず眠くなってしまうような気分だ。身体が重いのと同じよ うに瞼が重くなる。
(こんなに、何も考えないのは久しぶりだな…)
空を見上げると、近くの木に大きな白鳥が止まっていた。空に重なってまるで真 っ白な雲のよう。おかしいなあ、今は夏なのに。何か忘れ物でもしたのだろうか 。
それを最後に、スワンの記憶は途絶えた。



「スワンが、いない…?」
へヴンはその報告に愕然とした。
「…馬だけは、川の畔で休んでいるのを見つけました。ですが皇子様は…」
へヴンは何故彼を自分と行動させなかったのか後悔した。彼の様子がおかしいの は明白だったのに。
(大切な…弟なのに)
自分に心を開いてくれた、唯一の兄弟なのに。
「……今の状況でここを指揮できるのは剣…いえ、へヴン様しかおられません。 冷静になって下さい」
冷静になれるはずないだろう。朝日の騎士の声にへヴンはそう叫び返したかった 。しかし、彼の言うことももっともだと、気づく。
考えろ、何か方法はある――何か。
『あの王子は…お前の対極』
その時、突然頭に太い、男の声が響いた。
『剣を呼べ。剣がお前をその者のいる所へ導いてくれる』
(だが…あれは)
『誰にも会わなければお前の力がすぐ他人に影響するわけではない。さあ、どう する』
スワンとまた話したい。十五年を経て、やっと再会した弟と。禁忌の剣を奮う畏 れより、その気持ちが勝った。へヴンは走り出す。
「へヴン様!?」
「皆にこう伝えろ、私は絶対スワンを連れていく。皆は先に進んでくれ、私の身 分を証す鏡を渡しておくから…これを見せればきっとコンサントの兄上は匿って くれる」
人生で幾度かしか会った事がない兄。身体が弱く少し変わっているが、クロウド にいじめられてばかりいたへヴンを慰めてくれた。優しい人柄でもある。きっと 自分を覚えていてくれている。
へヴンが投げた美しい金細工の鏡を危な気なく受け取った朝日の騎士は、仄かに 笑った。
「まだ、持っておられたのですね、我が剣姫グラジオラス。わかりました、 ご健闘をお祈りします」
「……その敬称は止めてくれ」
確かにその鏡はへヴンが神殿の一番身分の高い巫女、剣姫である証だ。しかしも うその事実は忘れて欲しいことでしかなかった、男として。
へヴンは最後に苦笑いして、ネイトと別れたのだ。



さらさらとした銀髪を乱して倒れている少年に、駆け寄った人間がいる。
その人間は少年の散った髪をかきあげ、小さく息を呑んだ。少年の長い銀色の睫 毛は全く動かない。それを見つめ、その人間は小さく呟いた。
「スワン…」
倒れている少年は、未だ目を醒ます様子がなかった。

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