14.救いの手のあり方



白鳥はいつも自分を助けてくれた。そう言ったら誰もが「きっと女神様が助けて くれたんだね」って答えた。
だけど自分は知っている、その白鳥は女神などではなく、自分にとって尊きもの であるという事を。
そして、今日も白鳥はぼくを助けてくれた…。



温かかった。夏なのに、そう思うのはおかしいだろうか。
スワンはのろのろと瞼を上げた。白く清潔なシーツの上に、自分の痩せ細った手 首が置かれている。
頭が重くて上手く働かない。それでも、どこかに寝かされているのはわかった。
そして、それから軽く頭を上げて、壁際を眺める。
そこには、厚い書物が沢山積み上げられた棚があった。書物にはスワンが見知っ ている物から、見たこともない言語が刻まれている物もある。そして、やっとそ の棚の前に誰かがいる事に気づいた。
女性だ。茶色の長い髪を垂らしている。彼女はスワンの様子に気づいたようで一 瞬目を見張ってから、ほっとした様に表情を緩めた。
「お気づきになりましたのね、よかったですわ」
「あの…」
「少し、待っていらして。あの方をお呼びしますから…」
女性は美しい人だった。どこかで見た気がする面立ちだが、初対面だろう。まだ 若く、歳の頃は二十ぐらいだろうか。口調がとても丁寧だという印象が残る。彼 女は身を返してスワンがいる部屋から出ていった。
また、しばらくぼんやりとしていると、扉が開いた。目だけ動かすと、入ってき たのは、青年だろうか。つやつやした青みがかった髪が美しい、優し気な雰囲気 で二十歳すぎの美青年だ。目も同じ青い色をしていて、すごく綺麗で吸い込まれ てしまいそうである。スワンはしばらく彼をぼーっと見つめていたが、その面影 が焦点を結んだ瞬間、息を呑む。
「よかった…気がついたな。スワン」
「あ、あなたは」
何処かで聞いた声が、慣れた調子で自分の名を呼ぶ。
スワンは未だ彼の存在を信じられなかった。身体を起こそうと力を込める。しか し、自分の身体はぴくりとも動かない。その事実にまた驚く。
「お前の身体は相当弱っている。無理をするな、これを…」
青年は自分に近づき、肩を支えて優しく起こしてくれた。そして手にとった碗を スワンの口元に押し付ける。どろりと、生温かい液体がスワンの喉に流れた。懐 かしい、味だ。 スワンがそう思ったのが伝わったのか、青年は自分に優しく言った。
「お前の家で昔教わった薬湯だ。飲んだらもう少し寝ていろ、次に起きた時だい ぶ気分がよくなっているはずだ」
「はい…あの」
「今は眠るのが先決だ。質問なら後でいくらでも聞いてやる、わかったか?」
「…はい、ルカ兄様」
スワンの意識はすぐ飲み込まれていった。青年が最後に淡く笑ったのを眺めて。
――次に目を醒ました時、やはり側にいたのはあの女性だった。 女性は優しく笑って、もう少ししたら彼が戻ってきますから、と答えた。そして あの日と同じ薬湯を飲ませてくれた。
しばらくして“彼”は確かに戻ってきて、スワンの顔を覗き込んだ。
「何か食うか?もっとも、嫌だと言っても食べさせるが。そういえば好き嫌いは 直ったか?」
「……すみません」
スワンが答えると青年は笑って傍らの女性に聞いた。
「ちゃんと人参と辛いものは抜いたな?これからもそうしてくれ」
「はい、わかりましたわ」
「ありがとう、愛する人メイプル
青年が女性の耳元で囁いたのが漏れ聞こえる。彼女は一度部屋から下がって器を 持って戻ってきた。湯気をたてたスープだ。
「味は平気か?」
「はい…甘くて、美味しい」
「相変わらず、甘いのが好きなのか。変わってないな…スワン」
「……ルカ兄様も」
スワンの言葉に青年――アルカイドは微笑んだ。つられてスワンも笑う。食事は 美味しかったがあまり量は食べられなかった。そしてまた眠りに落ちる。
二日ばかり、こんな日々が続いた。起きては薬湯と食事を摂り、また寝て。その うちだんだん量を一度に摂れるようになり、起きていられる時間も多くなった。
そして、やっと考える余裕が生まれる。
「ここは、何処ですか?」
「シダフレスだ、お前が倒れていたのはもう少し都よりだったが」
スワンはその地名に息を呑んだ。シダフレスといったら自分達が目指していた黒 き山脈ジェットブラック・レインジを遥かに過ぎ、どちらかというと紅き森 ルビーレッド・グローブ白き山脈パールホワイト・レインジに近い場 所だ。
「お前を拾ったのは奇跡だったな、たまたま用事で少し離れた場所に足を伸ばし て…それで」
アルカイドはそこで言葉を止めた。スワンは未だ自分では起き上がれなかったの で目で訴える。
「…気のせいかな…白鳥を見た気がするんだ。それで俺は吸い寄せられる様に林 に分け入って、お前を見つけた」
そういえば、お前を拾うのも二度目だな。アルカイドは苦笑した。スワンは二歳 頃大貴族シトラス家に拾われたが、実際自分を森林で見つけたのは当時まだ七つ だったこのアルカイドと、彼の親友でシトラス家の長男である義兄であった事を 思い出す。
スワンは尊敬する美しい恩人アルカイドを見上げた。
アルカイド・フィールド。それはもはや伝説の名前と等しい。容姿淡麗、頭脳明 晰、温厚篤実などという言葉を欲しいままにした天才貴公子。だが彼は才能によ るどんな栄華よりたった一人の王女おんなを選び王宮を去った…。
しかしスワンにとってはそんな風説ではなく、“尊敬する兄貴分”がふさわしか った。いつも優しく、自分と彼女チェルリスに接してくれた義兄の親友。
スワンはその少女の名があまりに自然に出てきた事に驚いた。多分、アルカイド に拾われてなかったら自分は死んでいただろう。死ななくてよかったと、目醒め てから初めて思う。
そして、また強い眠気が襲ってきた。



「チェルリス…」
小さく囁かれた声にアルカイドは眉を上げた。そして、少年がもはや深い眠りに ついているのに気づく。
アルカイドは薄い掛布を彼にかけてやり、淡く微笑んだ。
(やっぱりまだ、チェルの事が好きなんだな)
気づいてはいたが、歳月の流れでかき消えぬほど、その想いは深かったようだ。
二年前、この少年が姿を消したのは聞いていた。心配もした。本人の事も勿論だ が、もう一人、いつも彼の傍らにいた少女が心配でならなかった。
早く彼女にスワンの無事を伝えたい。なのに。
「……ったく、おせーんだよ。さっさときやがれあの親友バカが」
子どもスワンには絶対見せない渋面でアルカイドは口汚く罵った。いくら急 いでもまだ着かないのはわかっているのだが、どうしても腹が立つ。
それが、彼なりの愛情表現だと知っている唯一の女性メイプルは後ろから優 しく彼の肩に腕を回し、強く抱き締めたのだ。



「ねえチェルリス、もう一度、あの首飾りをみせてくれないかい?」
フロウの突然の申し出にチェルリスは目を丸くした。でも断る理由もないので首 に手を回して、重い鎖を外す。
「いいわよ、はいど〜ぞ」
二人は今日、既に宿にいた。馬が疲れていたので早めに切り上げたのだ。チェル リスはお金に全く困っていないので(当然だが)いつも安心出来るいい宿を選び 宿泊していた。しかし今日はあまり場所が良くなかったので、少し不満の残る宿 になってしまった。
フロウは首飾りを受け取るとじっと観察するようにそれを睨み始めた。本物か見 極めるつもりかしら?別に構わないけれど。もしかしたらフロウは未だわたしの 身分を信じられていないのかもしれない。
チェルリスは、それで良かった。気軽に話してくれるフロウの存在が嬉しかった から。チェルリスを敬称なしで名前のみで呼ぶ人間は極端に少ない。街の親しい 若者達などほとんどは自分を“チェルリス様”と呼ぶ。街を出るともっといやだ 。皆が皆自分だけの名でない、シトラス家当主の証の名である“バレンシア様” と呼んで跪くから。
「偽物だと思った?」
チェルリスはいつもと同じ軽い調子で尋ねた。するとフロウは予想外にも首を横 に振る。
「いや…ただ、これ、あんたの波動石?」
「?もちろん。他に誰のを身に付けるのよ」
「…輝きが尋常じゃないっていう自覚は?」
フロウの問いにチェルリスは今度こそきょとん、とした。
「そうなの?フロウってそういう事に詳しい人?」
波動石は何度も言ったようにウエストリア王国に伝わる不思議な石で主となった 人間の生に呼応し輝くものだ。光の大きさや色などには個人差がある。チェルリ スがこの石を光らせたのはついこの間で、色は自分の瞳と同じ深い青碧エメラ ルド
「光が強いっていう人は特別な力が使えるでしょう?わたしの光は大きいけれど 、何も出来ないもの」
母の様に身体を張って街を守れる力があるとは、到底思えない。
「いや…別に詳しいってわけじゃないんだけど…」
フロウは何かを躊躇っているようだった。
「なによ、ちゃんと話して」
チェルリスは身を乗り出して力強く尋ねた。しかし、その問いの答えが返る前に 。
「チェルリス、伏せて!」
フロウが突然叫んだ。チェルリスは息を呑んだがいう通りにざっと頭を下げる。
次の瞬間、壁にごろりとした大きな石がぶつかった。
「…なに?」
「お久しぶりだな、この前のお嬢ちゃん」
相変わらず元気なものよ。その声と共に男が十数人、窓から、扉から入ってきた 。このあいだ、フロウを襲っていた男達と仲間だろう。
「お供はいま買い物だろう?今度こそ、二人をうちにお招きしようと思ってね」
「遠慮しておくわ、わたしも忙しいの」
成らず者という男達を見渡し、チェルリスはフロウを後ろにかばって細刀を構え た。今回は、鞘から抜いてある。
(殺さなきゃ駄目かしら…)
なるべくそれは避けたい。チェルリスが罪を問われることは立場と身分を考えて まずないだろう。しかし、それとこれとは話は別で。
チェルリスは他人の生命を絶ったのは未だ一度しかなかった。その一度を思い出 すと、やはり辛い。どうしよう。
カツーン。
その時チェルリスが手に握っていた細刀が床叩き落とされた。チェルリスは心臓 が止まるほど驚いき、その仕打ちをした人物を凝視した。
二人の命を守る唯一の糧を取り上げたのは他でもない、自分が後ろにかばった乙 女、フロウだったのだ。

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