15.大事な兄弟



一度弱りきった身体はなかなか元には戻ってくれなかった。久しぶりに、心が安 心しきっていたせいだろうか。スワンは熱を出した。
「…熱はあるが大事に至ることはないだろう。今のうちによく寝とけ」
いつもの様に乱暴な口調で、優しく命じたアルカイドにスワンは大人しく従った 。
アルカイドは時々どこかに出かけている様だ。ほとんど寝台から離れられないス ワンは彼が何処に行っているのかよくわからなかったが、その間はいつもこの家 にいる例の女性が世話をしてくれた。
彼女の名はメイプルと言うそうだ。しかしその他細かい事は病気が治ってから説 明するとアルカイドに言われたのでよく知らない。もっとも二人の会話や態度で だいたいのことは読めていたが。
「あらあら、ちゃんと寝ていなければいけませんわよ。また二人でアルカイドに 叱られてしまいますわ」
スワンが本を読んでいるとメイプルは時々咎めた。病気になったらしっかり休ま なければいけませんのよ、と何度も繰り返されている。上品な見た目と口調から 察せられるより彼女は意志の強い女性だった。
「だってつまらないんです。今までずっと寝ていたことなどないから」
「そうですわね…気持ちはわかりますけれど、よく活字ばかり見ていられますわ ね」
目が痛くなりません?アルカイドもよくそうしていますけど。メイプルは片付け を止めてこちらに向かってきた。
「とにかく今日は駄目ですわ、早く横になって下さい。お熱が上がりますわ」
メイプルはスワンから書物を取り上げると傍の椅子を引き寄せて座った。
「今日はあなたにとってきっと良い日になりますから、我慢して下さいませ。そ れまでわたくしがこちらにいらっしゃいますから」
それからメイプルはまじまじとスワンを見つめた。それから、微笑む。
「あなたとよく似た方がわたくしの知り合いにもいますのよ、最初見た時は見違 がう程そっくりだと思いましたが…あの方はお勉強が全く好きではありませんでしたわ」
「あの…」
「あっそうですわ。そういえば一度あなたにお聞きしたかったのですわ、昔のア ルカイドの事を」
彼女メイプルはあまり人の話を聞かないと、ルカ兄様が言ってたな…実感し つつしばらくスワンはメイプルに以前のアルカイドの事を話した。スワンにとっ ては偽りない“尊敬するルカ兄様”との思い出だったのだが、メイプルはひとし きり首を捻っていた。
「…少し、あなたの思い出は美化され過ぎていません?」
「悪かったな」
スワンが驚いて顔を上げるとちょうどアルカイドが戻ってきた所だった。
「お帰りなさい、ルカ兄様」
「お帰りなさいませ」
二人は話を切ってアルカイドを迎えたがアルカイドは渋面だ。
「スワン、あんまりこいつと喋らないほうがいい。ひねくれた考え方が移るぞ」
「まぁ、ひどいですわね」
口ではそう言いながらもメイプルはアルカイドに近づき、彼の胸に頭を寄せた。 こっちが赤くなるような熱々ぶりだが、それにもようやく慣れてきた。
「ただいまメイプル。…突然で悪いが、ちょっと席を外してくれないか?」
メイプルは一度瞳を見張ってアルカイドを見上げたが、それからちらりと彼の背 後を見て、微笑んだ。彼女は笑うとより一層綺麗に見える。
「わかりましたわ、ごゆっくり」
「悪いな。出しといて言うのもあれだが、あま り家から離れるなよ、何かあったら大声を上げろ」
「わかっていますわ、もう聞き飽きましたから」
メイプルは答えるとアルカイドから離れ扉をすり抜けようとした。その腕を何故 かアルカイドはもう一度掴む。
二人が口づけを交すのを見てスワンは今度こそ赤面した。自分の事でもないのに 恥ずかしくなってしまう、まだまだ子どもなのだ。
一方アルカイドはなにくわぬ顔で(そもそもスワンは彼が焦った顔など見たこと もない)スワンに近づき、その額に触れた。ちょうど不自然に熱っていた顔に冷 たい掌が心地よい。
「まだ熱が下がっていないな…気分はどうだ」
「平気です。むしろ熱があるほうが頭がはっきりするので」
「…スワン。さてはお前寝ていなかったな。俺は出掛けがけにちゃんとお前に言 ったよな?」
スワンは思わず身を引いた、きっと叱られる。アルカイドに叱られるのは日常茶飯事なのだが、やはり怒っ た彼は少し怖いのだ。
しかし、アルカイドは静かに息をつくとメイプルが座っていた椅子に腰掛けた。
「まあいい、そんだけ話せるなら大丈夫だろう。…入っていいぞ」
アルカイドはスワンの肩を抱いて座らせながら扉のほうに向かって言った。スワ ンは首を傾げる、誰かいるのだろうか。
しかし次の瞬間、彼の思考はどっかに飛んで行ってしまった。



がさがさと、植え込みが動いていた。村の人々は気味悪がってそれをさけながら ひそひそ話をしている。
さて、植え込みは一軒の民家の裏で動きを止めた…そして。
「…本当にここにいるのか?」
また随分小さな家だ。都と大都市を主な生活拠点にしていた第三王子へヴン の感覚ではの話だが。
しかし、どこぞの家中にいるとは計算外だ。侵入したら目立つだろうし、大ごとに はしたくない。
へヴンはもう一度眼を凝らして民家を見た。そして、気づく。
(家の外に人がいる…女性?)
しばらく迷ってから、へヴンは決意を決めて植え込みを出た。



スワンは何もかも忘れて固まってしまう。しかしその時には既に温かい腕の中にいた。
自分を当たり前の様に抱いている、人間が信じられなくて。
「スワン……よかった」
声を聞いて、やっと夢じゃないんだな、と思った。後で冷静になって考えて見れ ば何ら不思議な事ではなかった。自分を拾ったのは他でもないルカ兄様だったの だから。
でも本当に不意打ちで、もう一生逢えないかもしれないと思っていた人に逢える なんて。
「ウェス兄様…」
気づくと、声はかすれていた。スワンの大きな瞳からしずくが滴る。でもそれは 、目の前の、背が高く若草色の瞳をした義兄も同じだった。
「こんなに痩せて…怪我をして。辛かったろう…よく頑張ったな」
ぽんぽん、と頭を撫でられてスワンはとうとう耐えられなくなってしまった。見 かねたアルカイドが優しく笑いかけてくれる。
「泣きたい時は泣けるだけ泣け。声を上げて叫べばいい」
「う…」
スワンはアルカイドにしがみついて、そのまま泣いた。アルカイドは優しく背中 を撫でていてくれる。そして一方の手で、同じ様な意味を込めて彼の親友の肩を 叩いた。
「よく耐えたな、スワン。お前もだ、ウェス」
アルカイド声は優し過ぎて、スワンの目のから涙は絶えず流れ出す。
しばらく、スワンの泣き声だけが部屋に響いた。だんだんそれが落ち着いてしゃ くりあげるほうが多くなった頃、未だアルカイドの腕にいるスワンを見て親友は ぼそりと呟いた。
「お前ばっかりずるいぞ、ルカ」
「まあな、兄様おまえより俺が“上”なの がスワンにはよくわかっているから」
勿論、上なのは身分でも身長でもなく“権力”である。アルカイドはこんな時で も唯一無二の親友、ウェストワード・シトラスをからかうのを忘れないのだ。
アルカイドの親友であり、スワンが十三まで育ったシトラス家の長男で彼の義兄 にあたるウェストワードはアルカイドより太鼓判を捺される弟妹バカブラコン だ。一流貴族に生まれ数々のきらきらしい才能を持った彼は今も将来有望の貴 族だが、未だ身分を捨てた大切な親友アルカイドとはとても仲がいい。
アルカイドがスワンを知っているのも、勿論彼の義弟だからだ。小さい頃から顔 を合わせているから、アルカイドにとってもスワンは弟の様なものなのだ。
アルカイドはウェストワードにスワンを預け、一度出ていって何かを持ってきた 。その間スワンはウェストワードの胸にしがみつき、何とか呼吸を落ち着かそう としていた。ずっと泣いていることに羞じらいを覚え始めたのだ。
胸が一杯なのと熱が上がったのかだんだん意識が朦朧としてくる。
しかし次にスワンに訪れたのは心地よいまどろみではなく、高い声の悲鳴だった。



メイプルは家を出て、すぐ裏のちいさな畑に向かった。綺麗な花やごくちいさな 作物を育てるのは彼女がここに来てからの密かな趣味となっていたのだ。自分は 昔から飽きっぽい性格だと自負しているが、最近はこういった飽きない趣味も増 えたものだ。
メイプルは歩きながら、今家にいる銀髪の少年の事を思い浮かべた。今頃、彼は自分の兄と再会して喜んでいるはずだ、そう思うと自然と笑みが浮かぶ。まだ幼いあの少年はメイプルに自身の過去を、呼び起こさせた。
五年前まで、メイプルはこの国の王女だった。本来なら今頃隣国のオウトリアに 嫁いでいるはずだったが、その運命を変えたのが、彼女が愛してやまないアルカ イドだ。
王宮でピアノの教師と生徒という形で出逢った二人は、そのまま恋に堕ちた。
……赦されない、恋だったけれど。
でもその苦境を乗り越えて、今共にいられることが幸せだった。たとえ死した後 に煉獄の炎で身を焼かれようが地獄で永劫の罪責をうけようが、彼を愛したこと を後悔はしない。
しかし、そんな今を掴むために、犠牲にしたものはやはりある。 血が繋がっていなくとも自分を大切に育ててくれた母の期待を破り、隣国には代 わりに別の娘が嫁いだ。城で自分の世話をしてくれていた侍女達にも何も言わず 、城を出てきてしまった…きりがないほどに。
目をそばめて遠い彼方を見る。あの当たりに城があるのだろうか。きっと、もう 一生逢うことが出来ない…
そこでメイプルは視界に一人の人間がいることに気がついた。こちらへ近づいて くる。どうしてこんな所に人がいるのでしょう、道もありませんのに。どうやらメイプルのほ うに歩いてくるようだが、知らない人と話したらアルカイドに心配される。
どうしたものかとメイプルは戸惑った。
身長からして多分男だろう。髪は長く日に輝いていて、遠目からは色素が薄いと いう程度しかわからない。段々近づいてくると、それが今家で養生しているあの少年 と同じ銀だと気づいた。
あの少年スワンはメイプルに過去を振り返らせた。それはまるで彼は…
「あっ…」
そこでメイプルは息を呑んだ。男も足を止める。今二人の距離はもはや表情が見 渡せるほどになっていた。
続いて、男…少年もメイプルと同じ動作をする。
驚愕のあまり掌で口を覆ったメイプルは大きな瞳を更に見開いて彼を凝視した、 間違いない。そして、少年が口を開いた。
「まさか…メイプル姉上?」
いつか聞いた、彼しか呼ばない呼び名。
「へヴン…」
メイプルの長く美しい睫毛から、涙が散った。

 next>>

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送