17.誰かのためにできること



フロウはチェルリスがすやすやと寝息を立てているのを確認した。そして牢の前 にいるいかつい男を見る。
「あたしがあんた達を愉しませればいいんだね」
「そうしたらこの娘は返してやろう」
フロウの顔に勝利の笑みが浮かんだ。
「わかった」
あまりに艶かしい笑みに男が牢の掛け金を一時的に緩める手が一度止まる。
フロウは気にせず長く乱れていたぬばたまの黒髪を後ろに流した。先程まで見え なかった胸元が一気に露になる。
「早くしてくれないかい?」
これから男達はフロウの魅せる夢の時間を堪能するのだから、既に主導権はフロ ウにある。
男はフロウを外に出し、彼女を伴って宴席へと戻って行った。



「…ほら、姉上の料理は美味しいぞ!」
「だからもう充分食べたって!」
小さな家の客室では今日も押し問答の真っ最中だ。スープの碗と陶器のさじを持 ったへヴンは弟に何とか食べさせようとしている。
「だから背が伸びないんだぞ」
「うるさい!ぼくは別に不自由してないんだ、ちょっとさみしいだけで」
「何だそのさみしいっていうのは」
「…軍にいようが城にいようが、ぼくの周りには大きい人ばかりだから」
それはスワンが小さいから当たり前だ。特に王宮にはウエストリアの美人の条件 の一つである背の高い女性が多い。
「いいんだ、もう今更」
食べるものがあふれているという状態に慣れたのもごく最近なのだから。
へヴンは碗の中身を見た。それでも今日はよく食べたほうなのかもしれない。残 したら悪いから残りは自分で食べる。
「…風邪がうつるぞ」
「平気だ、私は馬鹿だから」
自分で言うのだから救いようのない。へヴンは変な所で語彙の多い少年だ、時々 使い方を間違えているのだが。
へヴンは空になった碗をスワンが座っている寝台の横の机に置き、それから尋ね た。
「……この前、アルカイドさんに聞いたのだが、スワンの痩せ方は尋常じゃない と言っていた」
最近では少し食べる様になったので幾分ましになったが、まだまだ彼は細すぎる 。
「数日ものを食べない日もあっただろうって。どうしてそんなふうだったんだ? 」
「……ぼくは、王太子となる前とある私軍隊にいたと以前話しただろう?」
スワンはへヴンの目を見なかった。あまり気の乗らない話をするときの癖で、彼 は視線を落とす。
「彼等は、反王家組織だった。王家を滅ぼし、新たな国を建てようと…その布石 にライズとシトラスの神殿を襲って、滅びた」
へヴンの片眉が上がる。ライズの神殿を襲った…。
「…フラット家の軍か?」
「知っているのか、どちらにしろぼくはそこに拐われ、捕われていた、この髪と 、瞳のために」
たまたま拐った子どもの色が、高貴な王家の色だった。これを利用しない手はな い。
「彼等はぼくを、国を滅ぼした後のかりそめの王座に即かせるつもりだったんだ 。ぼくを王族として、それなら民も安心して新しい国に従うだろう、ぼくは、あ いつらの“駒”だった」
しかし当時十三のスワンが大人しくそれに従うはずはない。
「捕まった直後…ぼくはかなり抵抗したんだ。駒だから殺される事はないってわ かってたし。自分で言うのもなんだけど、ぼくの剣は決して弱くないんだ、それ であっちにかなりの怪我人が出て…」
「……」
敵に少し同情してしまったへヴンがいた。
「それで、決まったんだ。ぼくに食事は一日一回、決まった量しか与えてはなら ないって。食事をろくにとらなければ、いくら腕が優れていても体力がもたない だろう?」
彼等はなかなか頭がいい。スワンは逃げられなくなってしまった。
「更に時々ぼくの好き嫌いが多いのにつけこんで意地悪してきたからね」
「それは直したほうが…」
「ムリだ」
そのきっぱりとした理由の根拠がへヴンにはどうしてもわからなかった。
「それでまぁ…何とか逃げ出したのが軍がライズとシトラスの神殿に突入した日 で…それで、ぼくは自ら、シトラスの神殿に突入仕掛けた軍を滅ぼした」
力が暴走して、他にも色々壊しちゃったけどね。その後気づいた時には既にクロ ウドの兄上に拾われていたんだ…
きっと、弟は話ながらこぼれおちて行く自分の涙にまだ気づいていないはずだ。
「スワン、ライズの神殿に忍び込んだ彼等を、滅ぼしたのは私だ」
「へヴン…」
「それは私達の運命だった、あなたが気に病む事じゃない」
わかっている…でもへヴンは優し過ぎて、涙が止まらなくなってしまい、掌で顔 を覆う。
「よく泣くな、スワンは」
「……うるさい」
これでも気を許した人の前でしか泣かないよう努めている。王宮では滴も垂らさ なかったのに。ただ最近、優しい人が多すぎて…
「ぼくは本当に、へヴンと兄弟で良かった」
そう素直に言ってくれる弟がへヴンにとってどんなに喜ばしいものか、彼は知ら ないだろう。



しばらくしてスワンは眠ってしまった、泣き疲れたのだろう。スワンが泣き虫な どではないのをへヴンはよく知っている。涙を必死に耐え続け、あまりに耐え続 けすぎたのだと容易に想像出来た、それほど彼の渡り歩いた境遇は辛いものだっ たのだ。熱はまだ少しある、彼はへヴンが想像していたよりも遥かに参っていた はずだ。本当に助かってよかった。
コンコンと扉がノックされる。へヴンが振り返るとそこにはアルカイドがいた。
「…スワンは寝たのか?」
「はい」
へヴンが頷くとアルカイドは音を立てないよう細心の注意を払ってスワンの枕元 まできた。
「お前が来てからだいぶ顔色が良くなったな」
「ありがとうございます、でもアルカイドさんの最初の対応が良かったから」
「当然だ」
自信満々に言い張る、かなり偉そうな態度だがこれが彼の自然なのだろう。へヴ ンはかつて温厚で誠実と語られていたアルカイドを知らないから、そう素直に思 えた。
「お前は一人でここまで来たのか?最近物騒だから気をつけたほうがいいぞ」
「スワンならともかく、私をどうこうしようって者はなかなかいないと思います 」
「ああ、確かに余程の悪趣味だな」
「……はっきり言いますね」
なんかスワンとかなり扱いが違う気がする。それはアルカイドがへヴンを自分と 対等の立場と認めているからなのだが…そういえば、今まで自分にものをはっき り言う人間は少なかった。…あの少女を除いて。 彼女、フロウの事を忘れたわけではなかった、ただ切迫していたスワンを優先し ただけだ。フロウは頭が働く少女だから、何とかやっていけているはずだ。しか しそろそろ捜さないと、とは思っている。だがこの弟を置いていくのはまだ少し 心配だ。
「物騒とは例えばどんな事ですか?」
へヴンはアルカイドに話題を振った。
「ん?そうだな…」
アルカイドの群青の瞳が遠くを見据えるように開かれる。
「確か、一昨日近くの宿屋に人拐いが出たらしい。若い女を二人拐っていったっ て。犯人はこの辺りでも有名な盗賊集団らしいが、皆怖くて手出しが出来ないん だとさ、ついでに拐われたのも旅の女だったというし…」
「旅の女?」
「ああ、何でも一人は相当の美人だったって噂だぞ」
「…それは、もしや髪が長くて黒い少女ですか?」
「なんだ、知っているのか。詳しくは知らんが確か村の子ども達は黒い髪のおね ーちゃんって言ってたな」
アルカイドの情報元は何故か子どものようだ。しかし、へヴンはそれを気にする どころではなかった。
「…アルカイドさん」
へヴンは立ち上がり、部屋の隅に置いてあった自分の剣を掴んだ。久しぶりに持 ち上げた刃は予想外に重い。
「スワンを頼みます」



全ては計画通り…というわけではないが。自分もなかなか頭が良くなったのかも しれない。
「ごめんね、フロウ」
あなたを少しだけ利用させてもらったわ。眠ったふりをしていたのも含めて今謝 っておく。
チェルリスは上掛けを床に投げ、立ち上がる。牢の天井は低くフロウは大変動き づらそうだったが小柄なチェルリスには全く問題なかった。 チェルリスは牢の外の少し離れたところにいる、牢番らしい男に声を掛けた。
「ねえ、あなた退屈じゃない?」
人なつっこいという性質はこんな時本当に役に立つ。チェルリスはフロウの様な 色気を生憎持ち合わせていない。しかしだからこそ、彼女の性情は引き立つ。
男と話をはずませながら、チェルリスはそっと、自分のスカートとペチコートを 調べる。まだ充分足りるだろう。
「鍵?鍵なら……」
あまりにその男は素直だった。チェルリスは聞き出したい情報を簡潔かつ巧妙に 得、笑顔を振り撒いた。
(ごめんなさい、あなたを陥れたいわけじゃないけど)
わたしはここから出なければならないから。
「喉が渇かない?何か飲みものはないかしら」
男に渡された水差しからチェルリスは掌で水を一口飲み、言った。
「あなたもずっと話していたから喉が渇いたでしょう、どうぞ」
チェルリスから水を掌に注がれ男はそれを飲む。それからまたしばらく話してい たが、突然、男の身体の力が抜けた。
「あら、どうしたの?」
チェルリスの問いに答えることなく、男はいびきをかき始めた。チェルリスは密 かにほくそ笑み、男の腰から鍵を外す。
そしてペチコートの裏についたポケットにしっかりをしまい、変わりに 短刀を取り出した。これだけでは心もとないが、仕方がない。
「やるわよ」
チェルリスは微笑んでいた。
何かを始めようとする時のバレンシア七世の笑顔はあまりに愛らしくて、誰でも 目が話せなくなってしまう。その事が後々、一人の男の生涯の悩みになるのだが 、本人は全くそれに気づかなかったようである。



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