18.混沌からの出口



密閉された空間にはきつい酒の匂いが充満していた。香りだけでも酔ってしまい そうだ、フロウはあまり酒には強くない。
フロウが導かれたのは多分先程まで捕えられていた牢からほとんど離れていない 所にある一室。ここはそれなりの広さがある洞穴のようで、そのせいか匂いが相 当篭る。
周囲に視線を走らせるとフロウを囲んで男が七、八人。下に薄い敷き物を敷いた だけの地べたに直接座っている。そこには質の悪い酒壷と料理がズラリと並び、 何処にでもある田舎の宴会風景のようだ。
その中でもリーダー格の三十代後半とおぼしきがっちりした男が、フロウの方に 手を回している。
「お、そういや嬢ちゃんも飲むかい?」
「…いや結構」
こいつらの酒を振る舞われるよりは、昔城であの好きになれない王太子、現在の 王であるクロウドに茶とかいう不可解な飲み物を振る舞われたほうが遥かにまし だった。
そんな事が思い当たって、フロウは密かに息を呑む。城にいたこと…もう遠い昔 の事のようだ。まだ二、三ヶ月ほどしかたっていないというのに。
「そうだ、嬢ちゃん、舞でも舞ってくれんか?」
男達にだいぶ酒が回り始めたようだ。さっきからべたべた触られていたフロウは この申し出を幸いと思う。
舞は昔から好きだった。生来縛られた柵を解き放つような気分になる。酒を飲む より余程、フロウの気分を高揚させてくれるのだ。
フロウはゆったりとした仕草で立ち上がり、輪の中心に立つ。
「楽器がないね…手でも叩いておくれ」
フロウはそう言って妖艶に笑った。男達はその唇にとらわれ、言われるままに手 を打つ。
フロウの爪先が、堅い地面をリズミカルに叩いた。



「……」
部屋の入口で宴会を覗き見していたチェルリスは肩をがくっと落とした。
まるで手だれの娼婦のようだ。フロウは全く、それに気づいていないのだろうか 。しかしチェルリス自身お家柄娼婦など卑しき身分と数えられる者に会った事は なかったので本から得た知識からそう考えただけだ。
“美”が女の武器だという言葉が初めて理解出来たチェルリスだ。武器を持たな いフロウの強さの秘訣がこんな所にあったとは甚だ予想外。
(あんな不確実な手を打たなくてもよかったかも…)
それでもチェルリスは計画を打ち止めるような事はしない。酒が入って男達 は細かい事にほとんど気づかない。部屋は広く男達が集まっているのは真ん中で 、隅で起こっていることなどわかりはしないだろう。チェルリスは例の秘密ポケ ットからひと掴みの草と、火を付ける道具を取り出した。扉がない部屋で幸い、 チェルリスは男達の視線がフロウに向かっている間に手だけ部屋に突っ込み、草 を中に積み上げる。最後に載せる葉には火をつけ、上から水差しの残りで濡らし た上掛けを被せて蒸し焼きにする。
そして立ち上る煙を確認し、チェルリスは微笑もうとした。しかしその瞬間突然 起こった気配に身体が氷つく。
チェルリスの反応は速かった。後ろから突然現れた人間に即座に短剣を構える。
そしてきっと睨みつけた人物を見て、チェルリスはふいに呼吸が止まりそうにな った。
まだ若い少年だった。彼も剣を構えていて、刀には血潮が走り、薄汚れた衣には 返り血が点々としている。しかしチェルリスはそれに恐れを抱いたわけではない 。彼のかんばせと髪の色をひとしきり凝視する。
(この人……違うけど、似ている)
彼に、似すぎている。
――息を呑んでいるのは少年のほうこそのようだ。どうしてこんなところにまだ 子どもと言える少女がいるのか、へヴンにはわからなかった。
(あ…もしかして)
拐われたのは二人。この少女は…
「あなたは…」
「あなたは誰?わたしの邪魔をするの!?」
しかし強い口調で先走った少女にへヴンの言葉はかき消される。
「そんなにあの子に似た顔をしてわたしを騙そうって言ったって甘いのよ、わた しにはちゃんとわかるのだから」
「ちょっとまっ……」
へヴンの言葉を聞き入れようとするどころか、少女は短剣を振り上げてへヴンに つきつけた。だが殺意がない事がへヴンにはわかったので手を軽く上げて少女を なだめる。
「武器は捨てた、あなたもそれを下ろしてくれ」
「いやよ、あなたみたいな得体がしれない人に…あっ」
意外とスキがあった。へヴンは少女から短剣を奪い後方に飛ばす。ついでに彼女 の手首を捕え、側に引き寄せた。
少女は一瞬驚いた顔をして自分を見たが、すぐ悔しそうに顔を歪める。
「わたしに何をしようっていうのよ…ううん、何でもするからフロウだけは助け てあげて!」
少女は未だきつく自分を睨んでいたが最後繋げた言葉に、へヴンは確信した。
「いや…どうやら私達は味方のようだぞ。私はフロウを助けにきたんだ」



その娘はチェルリスと、自分の名を名乗った。確かに拐われた娘らしいが自ら牢 から逃げ出したという。見た目通り威勢のいい少女だ。
「私はへヴン。フロウと最初旅をしていた者だ」
「フロウが言ってたわ。さっきは早とちりしてごめんなさい」
チェルリスはとても素直だった。フロウとここに来た経緯を話し、フロウが今壁 の向こう側にいることも教えてくれた。しかし突入は機会をもう少し待って、と も。
へヴンが自分がこの洞穴の入口付近にいた者達は全て縛っておいたというと、そ れなら安心して待てるわ、と嬉しそうに笑った。
チェルリスはそれきり黙ってしまった。いつもの彼女を知っている者ならおかし いと思ったに違いない。へヴンは彼女の隣りに大人しく座っていたが、チェルリ スが存外小柄な事に気づく。
(スワンよりも小さいな…まぁこれは地だろうけど)
よくみると顔立ちも人形のように愛らしい少女だった。目がぱっちりしていて、 明るい茶色の緩い巻き毛が可愛らしい。先程の立ち回りを見ず、今の大人しくし ている姿だけを見ていればまちがいなく良家のお嬢様だ。フロウとは全く違う。
チェルリスのほうも目線を上げ、へヴンを見上げた。真っ直ぐな視線が、ス ワンとそっくりだと感じる。
「へヴンって、兄弟はいる?」
突然の質問にへヴンは戸惑った。
「ああ、いることにはいるが…あなたは?」
「わたしには兄が一人いるわ。今はお仕事で都にいるの」
「都ということは……役人?」
「ええ、とても優秀な武官なのよ」
チェルリスは初めて嬉しそうに笑った。その笑顔のどこかに見覚えがある。最近 見た顔だ。
(気のせいかな…どことなく、似ている気がする)
弟の義理の兄である、ウェストワード将軍に。彼も陽気に輝く瞳と薄茶色の柔ら かい巻き毛を持っているからだろう。見れば見るほど気になり、へヴンは口を開 きかける。
しかしチェルリスはそこでしっと口元に指を当てた。
「始まるわ…安眠の鎮魂歌レクイエムが」
(…はぁ?)
へヴンの顔にはででんとそう書かれていたのだろう。チェルリスは可愛らしい外 見に似合わぬ冷笑を浮かべた。
「いいから、これをフロウだけに」
チェルリスのちいさな掌が自分の掌に何かを握らせる。拳を開くときチェルリス はまた得意そうに微笑んだ。
「解毒剤よ、いい?あなたも入る時にね」
「……まさか盛ったのか?」
「わたしを甘くみないで頂戴」
大丈夫、彼女フロウの安全は保証するわ。ころころ笑う少女。 彼女は自分のした事が、へヴンが世間の女性について更に大きな偏見を抱くきっ かけになった事に全く気づかなかったようだ。



意識は失っていた。だけど、自分が舞っていることだけはわかった。
突然強く引き寄せられて何かを顔に押し付けられる。その行為が何なのかも、気 にかける事は出来なかった。しかし、口の中に広がる不審な味覚。
「……げほっ、何この味!?」
「私も知りたい…でも目は醒めたようだな」
フロウが顔を上げると、見慣れた少年が涙目になってフロウの手を掴んでいた。
「ま、不味すぎる…」
彼はフロウの口に広がったものと同じものを食べたらしいが、余程口に合わなか ったらしい。フロウはそこまでではないが、何故ここまで過激なものを口に放り こまれたか訳がわからなかった。
辺りを見回すと、折り重なるように数人の男が倒れている…いや、ぐっすり眠っ ている。そしてフロウはやっと、今自分の前にこの少年がいる不自然さに気がつ いた。
「へヴン、何であんたがここに…」
「助けにきた、大体チェルリスのお手柄だけどな」
へヴンの口から思いがけない名が出てきた。
「へヴン、終わったなら早く出てきなさいよ!フロウ、大丈夫?今外でシーホー ンと会ってきたから、ここには国の役人が来る、こいつらを捕まえにね」
わたしは入れないんだから早くはやく!チェルリスに急かされて二人は部屋から 出た。
「お味はどうだった?二人とも」
「…チェルリスはこれを食べたくなかったから私にやらせたのだな」
「あら、まさか。女性を助けるのは男性の仕事でしょう?」
ちなみにね、それ解毒剤なんかじゃないのよ。あまりに強烈な味の草だから眠れ なくなるの、勉強の時に使えるのよね。あっけらかんとチェルリスは言う。調子 のいい娘だ。
「本当はフロウが少しおかしかったから。だって皆眠っているのにずっと踊って いるのだもの。もしあの草でも正気に戻らなかったら、わたしじゃ連れ出せない から」
「ああ、少し酔ったかな…」
フロウは呟くと続いてへヴンも深く頷いた。
「確かにあの部屋はすごい匂いだ。フロウも酒が苦手か?私も駄目なんだ」
(…酒云々の問題じゃないんだけどな)
チェルリスは心の中で呟いた。
シトラス秘伝、眠り草。いぶした煙を吸うと瞬時に激しい眠気が襲ってくる。万 が一捕われたりした時のため、チェルリスは二年程前から常に複数の薬草を隠し 持っている。それが今回功を奏したのだ。
しかしどうやらフロウには違った効果が出たらしい…何故だろう。
「あ、そうだ早く役人が来る前に出ないと!へヴン、つかまるよ」
「それはまずい、出口はこっちだ」
そこで思考を停止しざるを得なかったチェルリスは二人の後に続く。
洞穴から出た瞬間、明るい日差しが目の前に広がった。



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