5.乙女の握る波動石



春の夜風に二人の長い髪があおられる。
フロウが瞳を開くとそこはもう知らない街だった。一晩、見知らぬ馬車で途中ま で、その後はよく覚えていない。
だが、とにかく今自分はへヴンに抱かれていたらしい。
「目が醒めたか。」
へヴンが気づいてフロウを地面に下ろす。街の外れの山間にいるせいか、人影は ほとんどない。
目が醒めたばかりのフロウはまだぼんやりしていた。足から下ろされたにも関わ らず、地面に膝をつく。へヴンがおや、という風に手を差し出す。それをまたぼ んやり眺めていると意識と共にまた、ひとつの疑問が覚醒する。
「ねぇ…聞いてもいい?」
へヴンは綺麗な瞳を丸くして頷く。フロウは一瞬躊躇ったが、一気に出してしまったほうがいい。
「……どうして性別を偽っているんだい?」
勿論、何故女装しているのかという事である。フロウの昨夜からの最大の疑問にへヴンはああ、とでもいうように軽く受け答え た。
「その事か。実は私は王の正妃から生まれた長子なんだ。しかし生まれたのが遅 く、その時にはクロウドの兄上が王太子になっていた。だから父上がいらぬ政争 が起こさぬためおとりはかりになったのだ。」
そして、彼は男神の神殿の巫女として時を過ごしていたという。
「…まぁ、他にもいろいろな要因があって私と兄上の仲はあまり良くない。私も これではいけないと思っているのだが…」
「まぁ、あの兄貴なら気持 ちは分かるよ。」
ああいう人間は大抵自分の利益しか考えていないのだから。フロウは心中呟くと へヴンの手をとって立ち上がった。
ふいにカチャン、と堅い音が響く。
「?何か落としたぞ…」
へヴンが長い手を伸ばしてフロウの後方を探る。そして銀色の鎖を掴み上げた。
「あっ…!」
フロウはあわててへヴンからそれを奪い取る。突然の事にへヴンは唖然として、 目をぱちくりさせた。フロウはやっと自分が不審な行動に出た事に気づく。
「……ごめん、つい。大切なものなんだよ。」
「…波動石か、キレイだな。でも大切ならちゃんと首に架けておいたほうがいい 。」
へヴンはフロウの瞳を見て、また鎖を手にとった。フロウの後ろに周り、手をま わして首に鎖を架ける。首筋に触れる感触にフロウは身をすくませた。
へヴンは自分が優位な位置に立っているのを知ってか知らずか、フロウの耳元で 囁いた。
「…本当に、私についてきて良かったのか?」
どきりとした。しかしフロウはしばらく黙っていた。それから、可憐だか強い意思を込めた声音で返す 。
「構わないよ、もう私の居場所は何処にもないから。」
それから更に何か言わんとしたへヴンを振り返り、視線でそれを止める。
「今あたし達が論ずべき事はそれじゃない、とにかく。」
もう夜はとうに明けている。フロウはとりあえず辺りを見回した。朝の光にキラ リ、と光る宝石かねめなもの
フロウは自分のドレスについた真珠の連なりを思いっきり引きちぎる。ぽろぽろ と散ったそれを拳に握り、目の前の少年につき出した。
「すぐ街に行ってこれを食べられる物に交換するよ。あと、これから何処に行く にしても金と…まぁその辺のものを揃えるよ。」
へヴンはしばらく黙ってフロウを凝視した。それからしばらく後、ぽつりと、と 静かに呟く。
「…私はフロウのような女性を初めて見た。世間の女性は皆こうたくましいのだ な。」
……無論、大きな誤解である。



日差しが眩しかった。遠くの山々にそれはキラキラと乱反射する。
(…ねむい… …。)
思わずまどろんでしまいそうな春のうららかな陽気に、神殿を守る唯一の騎士は おおあくびをした。
騎士と言う名でわかる様に、彼は唯一無二の女性を守り抜く義務がある。だから 本当はこれほどだらだら職務を行なってはいけないのはよ〜くわかっている。
(でも、流石にこれだけ色々あって徹夜の職務が続いてやっとそれが緩んだ所な んだから…俺だって体力が持たない……)
とにかく眠いのだ、今はそれしか考えられない。騎士はとうとう、かけていた縁 の黒い眼鏡を外した。どうせ門の前に立ったままなのだから少しくらいうたた寝 しても平気だろう。
(バレたら怒られるだろうなぁ〜……あれ?)
騎士は顔を上げた。眼鏡を外したままの瞳を剣呑に細める。誰かが近づいてくる 、動物的勘がそう訴えている。
彼の視力以外の五感は並大抵の人とは比べられないほど鋭い。幼い頃から視力が 弱く、それでいて野生で育った賜だ。そして能力は目の力が欠ける程強まる…ま さに今、眼鏡を外している様に。
その騎士の名は、ロウシェル・シダフレスと言う。
(不審者…ではない?あまりにも足取りに迷いがないし、隠してもいない、しか も軽い…子ども?…でも、誰かこんな時に。)
幸いロウシェルはその答えを早々知る事が出来た。しかしその事でかなり彼の 持つ輝かしい理想が崩されるのだが。
「あっ、月夜げつやの騎士様!!」
今日の空の様にからり、とした明るいトーンの高い声に騎士は耳を疑った。
「……チェルリスお嬢様!?」
ロウシェル…もとい月夜の騎士は唖然として表から走ってくる少女を見つめた。
そこにいたのは、確かにシトラス家直系の長女、チェルリス嬢に違いない。
「あぁ良かった、知っている方がいて。ねぇ月夜の騎士様、お願いがあるのだけ れど…」
しかし、ロウシェルの頭は別の思考でいっぱいでろくに彼女の言葉を聞いていな かった。
(シトラスのお嬢様が…共もつけずに一人でここまで?市内といえど片道半時間 はかかるし何よりこの方は)
若干十五の次期シトラス家の当主。
知っている人もいるかも知れないが、この月夜の騎士という人はとにかく“理想 ”が高い。王族や貴族というものに激しい憧れを抱いている彼の心が崩れ始めて 早五年…。
しかし僅かに残った欠片までこの少女は破壊してしまうのだ、決して今日がはじ めてではないのだが…
「……騎士様?」
「は、はい申し訳ございません。それで、何でしょう?」
お嬢様の不審の声にロウシェルはあわてて現実に戻った。
お嬢様チェルリスはまだ首を可愛く傾げていたが、まあいいわ、と言って顔を上 げた。
ロウシェルより頭一個はゆうに下の瞳には、強い光が宿っている。常に純粋で真っ直 ぐな瞳の輝きが今日はいつもにも増している様だった。
「月夜の騎士様、お願い。急だけど…巫女様――剣姫グラジオラス様に会わせて。」



「それで……お話とは何でしょう?」
神殿の巫女様ことシトラスの神殿の剣姫は、煌めく睫毛を揺らして言った。
いつ見ても大変お美しい人だと思う。だがチェルリスはそれより懐かしい少年の 面影を感じる。
神殿が崩壊した先の事件。現場にはまだ無惨な残骸が残っている。だが崩壊の場 が祭壇の部屋のみだった事で怪我人はいなかったという。
……ただ、今回の事件は神の祟りに見せかけ、何者かが仕掛けたという噂が後を 絶たない。それもこれも神殿の周りに沢山の身元のしれない兵士の遺骸が横たわ っていたからだ。
チェルリスは口を開く。
「念のため聞くけれど、今回の神殿の破壊は…仕組まれたのではなく、本物?」
「…ええ、残念ながら。」
剣姫は呟いた。
「剣が…なくなりましたから。消える瞬間を私達は見ました。」
「では本当に…。」
王子は目覚めたのだ。チェルリスは息を一度吐いてから、洋服のポケットを探った。
掌から淡い光が漏れる。チェルリスが掴み出したそれは首飾りだった。鎖にさえ 金剛石や紅玉をあしらい、中央にはやっと拳に収まる大きさの、大粒の石がつい ている。その石は数秒に一度瞬く様に輝く。
波動水晶、ウエストリア特有の神秘の石だった。主と決めた人間の生を象徴し、 その命が尽きるまで輝き続ける。光の強さ、色も人それぞれでその光の強い少数 の者は非科学的なチカラを扱う事が出来ると言われている。
これは、チェルリスの母、セタイアンの持ち物だった。彼女はまさにその選ばれ た少数の者の一人だった・・・
「…母はこの間、王子の破壊から街を護るために力を使い果たしました。命は救 われたものの、もうチカラが戻る事はないだろうと。だからわたしに…この首飾 りを継げと。」
王子が目覚め崩壊しかけた街を救ったのは他でもないチェルリスの母だった。チェルリスはそれを目の当たりにしている。今日家を出てくる前彼女は病床で首飾りを外し自分に持たせたのだ。胸に微かな痛みが蘇る。
母の光を別の石に移し、チェルリスの光を首飾りに灯す。それが剣姫――ミスト に与えられた使命だ。チェルリスはまだ光を灯す儀式を済ませていない。こ れはシトラスの女性の成人の明かしでもあった。
(セタイアン様が娘に首飾りを譲るとは…)
ミストは息をついた。セタイアンの首飾りの波動水晶は半端ない大きさで光が小 さいととても見映えがよくない。シトラス家代々伝わる波動水晶の首飾りの中で も評判の悪いものだった。
しかしそれだけに装飾も非常に美しく値打ちも高い。セタイアンはそれを見事輝かせ、生まれた時期の悪さゆえ当主になれないのを惜しまれていた。……そういえば、代々の最 高の当主バレンシアがよく使っていた気もする。
白鳥のチカラ、ひいては女神の力を継がなくとも。この少女は、それだけの器なのか。
「……わかりました。バレンシア七世様、こちらへ。」
チェルリスの賜った最高の御名で剣姫は彼女を呼ぶ。チェルリスは面を上げ、剣 姫に導かれるままその目前に跪いた。迷わず頭を垂れる幼い少女を見 てミストは不思議な衝動にかられる。
(この王国を救えるのは…この少女なのかもしれない。)
胸をさす予感を振りきる様に彼女は首飾りを掲げた。古より伝わりし儀式の呪文 を唱える。長い袖から真紅に輝く波動石の光が零れ落ちた。
耳に打つ不思議な呪言チェルリスの意識はだんだん遠のいていく。心には微かな 高揚があった。
(わたしもやっと波動石が持てる…スワンと、同じ様に)
彼女は気づかなかった。その時瞑目する彼女の胸から輝く純白の石のついた羽飾りが飛び散った事に。

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