6.相容れぬ大切な人ソンザイ



さやさやと、カーテンが優しく鳴る音がした。
(ああ…懐かしい。)
スワンは寝返りを打った。頬にふわりと柔らかいベルベットが触れる。その気持 ち良い感触を確かめて…スワンはぱちりと目を開けた。
(えっ…)
スワンはそのまま言葉をなくした。今自分が置かれている状況が、全くわからな い。
スワンが横たわっていたのは上等な寝台だった。天蓋から美しい帳が降 りている。羽毛をたっぷり使った弾力がある枕に布団から敷布まで見た事もない ような上級品だ。スワンは一応国で一、二を争う名門貴族家で育ったのだが…
スワンは腕をついて身体を起こそうと試みた。しかし元々痩せ細っている上に弱 った身体のため肘はすぐ折れる。ばさっと頭を枕に打ち付けた。
「おや…目が醒めたのかい?」
スワンの立てたくぐもった音が好をそうしたのか…。帳の外から滑らかな青年の 声が響いた。スワンは身体をすくませたが、帳に差し出される繊手を凝視する。
「ああ、むやみに動かないほうがいい。今日はまだ医師が来ていないが、相当弱 っていると言っていたからな。」
「……あなたは誰ですか?」
スワンは単刀直入に尋ねた。青年に比べ上擦り気味で如何にも少年らしい声に心 なしか羞恥を覚える。しかし視線は帳を開いた人物から離さなかった。
美しい青年だった。二十半ばほどと思われる面差し、上等な上着に身を包み、上 品に口端を上げ微笑んでいる。そして驚いた事にその瞳と髪の色はスワンの持つ 物と全く同じだった。
青年はどうしても起き上がろうとするスワンの肩を起こし、枕で身体を支えなが らさらりと言った。
「私はクロウド・ウエストリア、王太子だ。」
「…王太子様!?」
スワンは驚愕を通り越してぎょっとした。思わず元々大きな瞳を見開いておずお ずと彼を見上げる。瞳があうとスワンはか細い声でまた尋ねた。
「どうして、王太子ともあろうお方がぼくを助けるのですか?」
だが王太子はスワンを見つめ返し感心している様だ。
「ほう…育ちがいいのだな、俗語で話されたらどうしようかと思ったが。しかも 見た目も含めて可愛らしい。」
心中ムッとしたがスワンも馬鹿ではない。背が低いのは大きな悩みの一つだが今 どうこうする問題ではない。
「お褒めに預かり光栄です…それで、ぼくは…」
「理由は自分でわかっているんじゃないのか?」
クロウドは優雅に笑って側の椅子を引き寄せた。何となくスワンはこういう笑い 方をする人間と相容れない気がする。真面目に物事を尋ねても上手く流されてし まうからだ。仕方なく起き出したばかりの頭を働かす…意外とすぐ答えは見つか った。
「ぼくの…髪と瞳の色が王族とよく似ているからですか?」
「似ているのではない、そなたは王族だ。」
「まさか…そんなはずはありません!」
スワンは即答した。クロウドは不審そうに眉を上げる。
「何故そう言いきれる?」
「……ぼくは拾われた時二歳ぐらいだったそうです。そもそもその年頃の王子は 王様にはいないはずです…」
「王の子どもが全て知れているとは限らないだろう。」
クロウドの言葉にスワンは唇を咬んだ。本当はもう一つ理由がある…しかしそれ を口に出しても気違いと思われるだけだろう。
(ぼくの親は人間じゃない…)
「おぉ、そうだ。それなら証拠を見せてやろうじゃないか。そなた、名は?」
「…スワンです。」
「外語で“白鳥”か…随分変わった名だな。まぁいい、ちょっと左腕を貸しなさ い。」
「…?」
スワンは言われた通り手前にあった片手を差し出した。そして今自分が久しぶり に身体に馴染む大きさの服を着せられているのに気づく。
クロウドは整った指先で袖を捲った。痩せこけて硬い筋肉のみの二の腕が露にな る。
「見てごらん、これが証拠だ。」
「……!」
「これが何であるかは知っているな、実際私にはそなたの腕にこれがあるのが疑 問なのだが…そなたの生まれは特殊なのだ。知らないと言うなら今まで封印され ていたのだろう。」
何せあの弟と同じ腹に入っていたのだから。クロウドは心中呟いた。確かにこの 少年にはあの弟と同じ痣があるのだ。だがクロウドが弟に感じていたまがまがし さはこの少年から一切感じられない。きっと弟の異常が腹にいる間に軽く移って しまった程度だとクロウドは考えている。 彼は知らない。それはただあの弟、へヴンとこの少年、スワンが対極でありそしてクロウド自身はどちらかというとスワンと同じ属性を持っている事を。だからへヴンに反発する事を。
逆にスワンは自分の腕を見下ろしたまま黙り込んでしまった。賢い頭はまたたく まに最悪の事態を“計算”してしまう。回転の速さ、知識の豊富さが仇になる。
ふと王太子が王国の紋章をあしらう金色のボタンを身につけているのが目に舞い 込んだ。蒼鳥と白鳥が身体を添わせ、藤を成す…。
「王太子様!」
城の役人が部屋に飛び込んで来たのはその時だった。
「どうした。」
「城の藤が…!」
その言葉にクロウドは血相を変えた。スワンの元から素早く踵を返し、窓辺に向 かう。
淡い色のカーテンを引いた向こうに垂れていたのは、褐色に変色した藤だった。



「そんな…まさか…」
チェルリスの頭に鮮やかに残る一番最初の記憶だった。
「まさか…シトラス直系のお嬢様が…」
義務的な儀式と思っていた一族達はここまでチェルリスの属性の儀式に心を入れ ていなかった。チェルリスはきっと尊き女神様の血を一心に受けて生まれたと誰 もが根拠もなく信じ込んでいたのだ。
「このお嬢様の属性は……蒼鳥の男神様のものです……それも、とても強い。」
当時の神殿の剣姫のその一言で、優しかった祖母も、親戚の目も全て変わった。たった三つのチェルリ スには最初わけがわからなかった。
――どうして、おがみさまではいけないの?
そして逆に一緒に儀式を受けた少年は、強い白鳥の女神様のお力を受けていた。
そう、二人は始めから全く違う場所にいたのだ。
――ぼくは、チェルリスがおがみさまのひとでもぜんぜんきにしないよ。それを きにするおとながおかしいんだ。
辛い、夢だ。本当に夢なのだろうか。ただ、一つだけわかった事がある。

――自分と少年スワンは何があっても共に生きられない運命にあると――

昏睡したままのチェルリスの瞳から一筋のしずくがこぼれた。その胸の首飾りに は元より遥かに強い、巨大な石からあふれだしてしまいそうな光が宿る。
その色彩は、彼女の瞳よりも更に深くよどむ美しい青碧エメラルド・グリ ーンだった…。



ガタンと扉がうなった。どうやらお嬢様を屋敷まで送り届けた月夜の騎士ロウシェル が戻って来たらしい。
「ただ今戻りました、剣姫グラジオラス。」
ミストは無言で彼を振り返った。ロウシェルはいつもの様に大きなエスパー ダを外し軽装でこちらに向かってくる。
「…お疲れ様。チェルリス様は?」
「落ち着いていましたよ、ただ…」
いつもの明るさに少しかげりがあった。そもそも彼女はどうしてあれほど明るい 少女になれたのだろう。重荷の強い生い立ちで有りながら…。
「それでもこちらにはそれを気取らせないよう努めていた様でした。」
「そう…あの子は、強いわ。」
昔の自分と比べて彼女はかなり強い意志と心を持っている。ミストにも勿論色々 あったからああだったのだが、少し反省した。
でもだからこそ自分の隣りにはこの青年がいる。ミストは暗がりまぎれたロウシ ェルの面に向き直った。
「チェルリス様はやはり間違いない、伝説の乙女の一人だろう。」
「王子が二人なら、乙女も二人という事ですね。」
自分とてそうなのだから仕方ないのだが、ロウシェルの事務的な答えにミストは 物足りなさを覚えた。それでも話は続く。
「そうだな。だが王子が二人いれば…国は五年、もたないだろう。」
巫女は目下の者には強い口調を扱うのがしきたりだった。簡潔でわかりやすいが どうしても広い神殿では冷たく響いてしまう。
「蒼鳥による“人”の崩壊、白鳥による“物”の破壊…それが一度に、ですから ね。」
終末の王子を倒す方法は一つしかない。終末の王子と時を同じくして生まれた“ 伝説の乙女”を探し捕えておく。そして後は、五年、王子と乙女が二十になるの を待つほかないのだ。大抵は適当に他の王子の后にして始終見張っておく。
そして二十になったその日に乙女を殺せば、王子も死ぬ。王子のもたらす終末が 取り返しのつかない物になる前に…それが国に出来る唯一の事であった。
「……ロウ。」
ミストの声にロウシェルは我に返った。
「何でしょうか、剣…。」
そこまで行って騎士であるロウシェルは言葉を止めた。そして、口調を改め優し く言った。
「どうしましたか?ミストさん。」
「…私には、何も出来ないの?」
ミストの声は今にも泣き出しそうだった。ロウシェルはいつも冷静でしっかりし ている彼女が、本当は繊細で傷つきやすい事を知っている。
「名前も顔も知らなくても、“王子”は私の弟…私は彼らと、乙女に降りかかる 運命をただ見ている事しか出来ないの?」
ロウシェルはそっと彼女を胸に抱き締めた。しがみついて微かな鳴咽を漏らすミ ストの髪を優しく撫でる。
勿論、ロウシェルとて何もわからない。ただ、今の自分に出来る事は彼女を安心 させる事。
「…あなたには、あなたが出来る事がきっとあるはずです。それを成せば、きっ と大丈夫ですよ。」
「…ロウは、いつも私に優しいから。嘘はつかないで。」
「ついてませんよ、俺も手伝いますから…何なら証拠を見せましょうか?」
ロウシェルは眼鏡を外してミストの頬を包んだ。赤く柔らかい唇に口づけを降ろ す。
ミストは決してロウシェルの背に回した腕を緩めはしなかった…。

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