7.二人の“弟”



薄暑を感じさせるこの季節の王宮でもこれほど酷い人いきれは珍しい。
常夏の女神より一足先に夏衣を纏った貴人達はさざめき合う。興奮を抑えきれぬ 者、目立たぬよう眉を潜める者、黙って同僚の声に耳を傾ける者…。
生ぬるい空気の中に高らかに“即位の令”が放たれた。毅然とした物腰で クロウド王太子が歩いてくる。聴衆の貴人達は是も非も喝采を博した。
元王太子、クロウドは慣例通り王の冠を重臣から授かり、胸に下げていた“太子 の印(王太子のあかし)”を外し、手に高く掲げた。鉛色の王家の紋が鈍く輝く 。
貴人達は息を潜め成り行きを見守った。誰もこの先の展開を知る者はいない。今 ここに新しい王が誕生した。しかし、それでは誰が次代の王に…。
カツン。軽い足音に貴人達は一斉に振り返った。クロウドが先に現れた扉から、 新たな人物が、こちらへ向かって歩んでいる。一歩一歩確実に近づいて来る影に 彼らは眼をこれまでになく凝らす。くすり、と新しい王が笑ったのに気づいた者 は少なかった。
ゆっくりと新しい王に近づいて来たのはまだ歳端もいかぬ少年だった。純白のビロウドの上衣に金色の装飾品を身につけ、肩程の髪を横で一つに束ねている。髪 はさらさらした見事な銀髪で、伏せがちな睫毛すら光を受けて輝く。半袖の上衣 から覗く腕は少女の様に細く華奢だが、よく見ると鍛え上げられた筋肉の筋が見 えた。王宮には似つかわしくない外見だか何処か品が合って庶民らしい所も見受 けられない。一見では一二、三に見えるが身体付きや落ち着きから言ってもう少 し年長かもしれない。
少年が王の前にひざまずく。その姿を見た老臣達の一部が一斉に息を呑んだ。彼 らの脳裏に鮮やかに、22年前が蘇る。若き王の前にゆっくりと膝をつく…小柄で まだ幼い少女の姿を。
「まさか…あのお方が正妃様の王子様であるのか?」
「…しかし、今まで何処にいたというんだ」
「しかし…とてもよく似ている、フェザラー王妃様に」
パチン。貴人達が我に返ったのは王の柏手だった。王は無言で“太子の 印”を目前の少年に与える。少年はしっかり受け取ると更に深く頭を垂れた。
「新王太子よ、頭を上げろ」
王の低い命令に少年は素直に従った。王は更に少年を誰もが見える様に振り向か せ、宣言する。
「これが我が国の新しい王太子である、名はスワンだ。素性を疑う者があるなら ばこの色彩を見るがいい」
少年は、ゆっくりと瞼を持ち上げた。銀色の睫毛の間から藤の色の大きな瞳が現 れる。清き色を眺めた貴人達は、その血の正統を認めた。
「新しい国王陛下、王太子にご幸福を!」
称揚の掛け声は王宮の高い天井に木霊して消えた。



スワンが目を醒ました日、王宮で全ての藤が枯れた。クロウドは拳を握りこう言 い放ったのだ。
「ほぅ…宣戦布告という事か…悪魔よ。ではこちらも早急に事を運ぶ事にしよう 」
そして何も判らず目を見開いている新たな“弟”(スワン)にこう告げた。
「喜ぶがいい…そなたの身分は更に特別になるぞ。次の王太子になるがいい」



「あんたの兄上がとうとう王様にらったらしいよ」
その話を初めに聞いてきたのはフロウだった。大人しく焚火の番をしていたへヴ ンは思わずがくっとのけぞる。
「王になったって…王太子の指名はどうしたんだ?」
「さあ、あたしに訊かれても。……そういや、見た事もない王子が現われたって 話も聞いたかな?」
一応嫁いだ相手の話なのにフロウはほとんど気にかける様子はなかった。彼女に とってあの結納はたいした意味を持ち合わせていなかったのだろう。
(見たこともない…王子?)
へヴンの前でフロウは慣れた手つきで野菜を刻みにかかった。恐ろしい速さで動 く手に、最初は魔法でも使ってるのではないかと疑ったが、ようやっと最近見慣 れてきた所だ。へヴンは手に持った火掻き棒代わりの枝で地面をひっかいた。意 味もなく灰を掻き回す。
次第に辺りに良い薫りが満ちていった。
「ほら、出来たよ」
フロウの声に顔を上げると鼻先に器をつきつけられる。
「あんた身体の割には小食なんだからしっかり食べなよ。あんまりいいものばか りを食べていたからかい?」
「いや…フロウの料理は美味しい。フロウは料理が得意なんだな」
「はぁ?これくらい誰でも作れるよ…まぁ、一応礼は言っとくけど」
フロウは眉を寄せながら自分の器にも料理を盛った。人に小食だとか言いながら 彼女の器にはへヴンの半分ほどしか入っていない。しかしそれをぐたぐた言うへ ヴンでもないので、ありがたく食事を始めた。
フロウの料理は事実絶品だ。名前のある様な料理ではなく、ありあわせを煮ただ けのいわゆる“ごった煮”なのだが、味が悪い時はない。
へヴンは黙ってもくもくと食べていた。フロウも隣に腰をおろした様だが、食事 に手をつけてはいない。
「食べないのか?」
「いや…悪かったよ、さっきの事」
へヴンは一瞬言葉の意味を掴みあぐねたが、それから弱々しい笑みを彼女に向け た。
「兄上の事か?……いいんだ、ただ…」
へヴンは少し躊躇ったが、なんとなく、フロウには聞いてほしい気がした。自分 でも認めたくなくて、でも認めざるを得ない事を。
「兄上は…本当に私の事がきらいだったんだな」
昔から、ずっとそう言っていた。だが心の何処かで僅かな期待を持っていたのも 嘘ではない。
フロウの顔色が少し変わった。
「あたしもね…姉がたくさんいた。でも全員があたしを好いていたわけじゃない …いや、妬んでたっていうのかな」
フロウが視線を下げて話始める。横顔にさす影にへヴンは呼吸を忘れた。この乙 女がこんな顔をするとは思っていなかったのだ。
「でも、あたしは姉上の事が嫌だったわけじゃないよ、あんたもそうだろう?」
問いかけられて思わず返答に窮したへヴンに、フロウは突然人が変わった様に力 強く言った。
「だ、だから気にするんじゃない、て事だよ。人間生きてれば嫌われないわけな いだろう…それに、好いてくれる人もいるよ」
「じゃあ…フロウは私の事が好きか?」
へヴンが尋ねると乙女の表情に驚愕と、戸惑いが浮かぶ。
「そ、そりゃ…好きだよ。あたし一人じゃどうにもならなかったのを助けてくれ たし、べ、べつに…」
「そうか、ならいい」
へヴンは最後まで聞かずに笑った。まだ自分を必要としている人間がいて嬉しか ったのだ。
フロウを見ると多少顔を赤くしていた。最後まで聞かなかったから怒っているの だろうか。
(私は…兄上が好きだったんだ)
ずっと気づかなかった想い。それをこの少女は教えてくれた。 何を言っても、何をしても心を許してくれなかった。それでも、へヴンの大切な 兄なのだ。
「けど…最後くらい……」
口が勝手呟きを漏らす……あまりにちいさくて、フロウにはよく聞こえなかった 。
「なに?」
「いや…何でもない」
(どうせ、私の命は長くないのだから…最後くらい、私を“弟”として見て欲し かったのに…)
心の呟きを聞く者は、まだいなかった。



風の鳴る音でフロウは目を醒ました。
「さむ…」
辺りはまだ闇の帳に覆われている。春の夜の冷え込みがフロウを襲い、思わず身 震いする。
フロウから少し離れた所で、へヴンが寝息をたてている。二人は今や国のおたず ね者なので野宿が基本なのだ。宿に入って下手に見つかるわけにはいかない。
風は剥き出しのフロウの腕を容赦なく叩く。もう一度毛布に身を沈めて眠ろうと したが、氷つく様な寒気にそれもままならない。回復を見ない冷気は、何故か涙 を呼び起こす。
(だめだよ、泣いては…)
自分に必死で言い聞かせる。泣いたら全てがくじけてしまう気がした。どうして 、自分はここにいるのか、城から出ないほうがよかったのではないか。そもそも 城になんか行くんじゃなかった、その前に…
(彼に…会うんじゃなかった)
締め付ける様な痛みが胸を襲い、フロウは拳を強く胸に抱え込んだ。今度こそ、 涙が溢れてしまう。
しかし、フロウの涙の関は、意外な物で守られた。
「……寒いのか?」
穏やかな青年の声。フロウは驚いて背中合わせにしていたへヴンを振り返った。
「それならこっちにくるといい。人間は二人でいたほうが温かいと以前精霊達が …いや、なんでもない、とにかくそうらしい」
どうやら本気で言っているらしいへヴンにフロウの涙腺はまたたくまにし まってしまった。
「え…でも……」
戸惑っているフロウにへヴンは微笑んで重ねる。
「いや、正直私も寒いんだ。来てくれるととても有り難い」
次の瞬間、フロウは派手に沈没した。男の威厳もへったくれもない発言に呆れた のだ。どうやら要らぬ事を考えた自分が馬鹿だったらしい。悔しいので一言呟い てみる。
「……変な人」
「ん?何か言ったか?」
「なんでもないよ」
フロウはへヴンの隣に大人しく滑り込んだ。温かい、そう感じた時頭を強い腕で 抱え込まれ、嫌でも鼓動が速くなる。
しかしそれからしばらくして響き出した寝息にフロウは再び呆れた。この男は全 くどんな育ちなんだ、吐き棄てるとだいぶすっきりすた。
物足りないほど静かな夜に、フロウもまたゆっくり瞼を落としたのだ。

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